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うさぎのカタルシス

葬儀屋さん

僕はL'Arc~en~Ciel(ラルクアンシエル)というバンドが大好きである。

妖艶で色っぽい雰囲気のまま、長年スタジアムを埋めることができる日本の音楽史においても存在が稀有なバンドのひとつだ。

Hydeさんはいつまで経っても永遠のJKのように可愛く、エッジの聴いたギターや、性格無比なドラミング、爽やかに乾いたベース音。

まさにアラフォーアラサーのアイドルであることに疑いの余地はない。


10代ではコピーバンドもしたし、HONEYのコードなんて僕の年代でギターに触ったことがある奴はみんな弾ける。

酔っ払ったカラオケにてターンが廻ると僕はすぐHydeのモノマネをしながら、往年のラルクの名曲を歌い始める。

 


14歳の頃だった。

 


僕には、照れや羞恥心がはばかられて確認したことはないが、ある友達がいた。

名を「ツツミ」


毎週のように地元の「ナイスデイ」という安いカラオケ屋に、ツツミを含めた4人ほどのツレと行っては、自分達のことを「カラオケ部」と名乗り、タバコ臭くて破れまくったソファーの上で、覚えたてのポルノグラフィティの「サボテン」やイエモンの「球根」をスタンディングで熱唱していた。

まあよくある男の子のティーンな感じのやつだ。


だが僕は好きなラルクアンシエルは歌わなかった。

僕よりラルクアンシエルをうまく歌える奴がいたからだ。

僕がラルクを歌えば下手を晒すだけではなく、そいつのお株さえ奪うことになる。


「ネオユニバース」のあの高音域を事なげもなく歌い、天パがきつい陰キャのような風貌をして、14にしては180cmほどの高身長。次曲のために渡されたマイクはいつも手汗でびっちゃびちゃで堤防が決壊するレベル。

 


それがツツミという男だった。

 


「バンドを組もう」

 


ティーンエイジャーよろしく僕らは「ミリオンヒットを飛ばして音楽で食っていく」とうそぶいては青春の例に漏れずバンドを結成した。


初めてのアコギの「F」で泣きそうになったのも、ギターを猛練習した振りをする為に、左手の人差し指に赤ペンで傷を演出する線を描けるようになったのもこの頃である。


ボーカルは残念ながら、僕ではなくツツミだった。

ギターがいちばん上手かったバンドリーダーがそう任命したのである。


当然、文化祭で演奏する曲は決まっている。

ラルクアンシエルの「Driver's High」だ。

疾走感、難易度、かっこよさ、どれをとっても初心者には高いものだった。


バンドを組むなんてワクワクする。

いつかもしかしたら、とんでもない存在に自分がなってしまうかもしれない。


根拠のない自信と肥大化した自尊心だけはいっちょまえだった。


だが、このバンドがステージに上がり、鮮烈なパフォーマンスとともにオーディエンスを熱狂のるつぼにすることはついぞなかった。


「ツツミ」が学校に来なくなったのである。


ザワザワとモヤのような霧が心にかかる想いをした。インフルエンザの何日間なら別に対した問題じゃない。

病気であると担任は言った。


そうして1週間が過ぎた。

そして、2週間、1ヶ月。

 


ツツミと仲の良いメンバーが先生集められた。

 


頭の悪い僕には理解出来なかったが、ツツミは重病、難病であることが判明した。


小脳という脳の感覚器官において重要な役割を果たすべきところが機能していないそうであった。


主に視覚に至ってはろくに目も開けられないレベル。 こないだまで呑気につるんでいた友達がある日急にいなくなっただけでなく、大人に集められ聞かされたのは重度の病気であり原因も不明。

耐え難く突拍子もない非日常感と「ガチ」感に尻尾を巻いて逃げ出したくなった。


それからツツミは永遠の幽霊部員となった。

最初は心配をする素振りをしていた学級委員の「メガネちゃん」も、クラスをまとめ上げる存在の「台形」も、自然消滅的にツツミの話題は3か月、半年と経つにつれ時間とともに淘汰されていった。


ツツミを知る人物の中には、それがまるで開けてはならないパンドラの箱のような共通の認識があった。


ツツミはひっそりと1年後学校に復帰した。

僕の頭脳は再三再四アメーバに毛が生えたレベルのアホであるがうちの学校は中高一貫の特進クラスだった。

中2で中3の修士課程は終わっている。 中2の途中で1度アウトしたツツミには勉学の進捗具合から僕が見ても、 厳しいものであることは明白であった。


何よりツツミの外見は当時よりも様変わりしていた。

おそらく剃髪していたのであろう。オレンジ色のニットを目深に被り、斜視なのか眼球はちぐはぐな方向を向き、 焦点が合っていないように見受けられた。 喋るのも常に何か咀嚼しているようにどもり、言語スピードもかなり遅いものであった。


はじめは懐かしみを覚え絡んでいた連中も徐々にツツミから距離を置いて行った。

復学し、戻ってきた彼はもう僕たちの知る「ツツミ」ではなかったのだ。

 


「ツツミをよろしく頼む」

 


ある日先生に呼び出された僕はそう言われた。


歩く速度もだいぶ落ちていて、器官が崩れ、急に廊下に倒れこんでしまうことがあるかもしれない。

日常生活にさほど問題はないが、それでもサポートは必要なものであるとのことで、そのサポート役として白羽の矢がたったのが、僕であった。

思春期だった僕は先生の言葉でさえ、投げやりに押しつけがましく聞こえ、不遜な態度をとってしまったかもしれない。

なによりツツミはそんなサポートを望んでいなかったのを知っていたからだ。


移動教室の際、ツツミが急に倒れこんだ時があった。

慌てて抱き起そうとすると「(僕の名前)、大丈夫。大丈夫だから♪」と必死に僕の腕を払いのけた。

心無い一言が遠くから聞こえた「(僕の名前)〜。そんな奴ほっといて早く行こうぜー」

 

ツツミは何も言わずに笑顔を作りながら、ゆっくりと立ち上がろうとしていた。

僕は何も言えず、そのまま彼が起き上がるまで、その場から離れることができずにいた。


ほどなくしてあいつはまた学校に来ることはなかった。 いじめられていたわけではない。

やはり病状が芳しくなかったのだ。

歩くのもしんどいのに、復学はあいつたっての希望だった。

 


それからまたしばらくしてからだった。

 


ツツミの死が、先生からクラスに知らされた。

 


病気は確実にあいつの身体を蝕んでいたことが分かった。

 


享年16歳。

 


僕は弔辞を読むことになった。

 


よく晴れた昼前、よく寝てるツツミに花を供え、 弔辞を読んだ。 寝ずに考えたが、言いたいことが全然まとまらなくてひどい内容だったことだけは覚えいる。

セブンスターと紋舞らんの AVを内緒で買ったことや、あいつが好きだった女の子の名前は伏せたんだから、褒めてもらって差支えはない。


僕は読み終わり、 礼をした後、あの時心無い一言を口にしたやつを睨んだ。


神妙な顔が胡散臭くて、やり場のない怒りにかられた。


それからしばらく経つと、僕は仲間内でいちばんうまくラルクを歌える存在となり、 バンドで「Driver's High」を演奏した。

その際はボーカルも務めた。

 


たまにふと思い出す。

 


もうあんなびっちゃびちゃのマイクをもらうことはないし、鋭角に切り込んだイトウ先生のモノマネを見ることもない。

 


ただ、あいつが「なかったこと」になることや

「忘れられること」

それだけはしないと決めている。


僕はL'Arc~en~Cielというバンドが大好きである。

フランス語で「虹」という意味があるらしく、なんとも厨二感満載のバンド名だ。

 

90年~00年代の楽曲であればハモリパートまで完璧なほどに僕はおさえている。

 

なぜハモリを歌えるかを先刻思い出したところだ。


カーステから流れる伸びやかなHydeの高音が

 

今日も、天国まで繋がっている。