双子の話
僕には双子の妹がいる。
僕が双子の片割れという意味ではなく、妹が双子ということだ。
16歳の頃だった。模試の後だったと思う。
母ちゃんは30代後半にして双子を出産した。
前日譚→ https://cellardoor.hatenablog.com/entry/2020/06/28/040223
妹ができたことを知らされた時は、特になんの感慨もなかった。
思春期だったからか「どうせ血は繋がっていない。この家族の中で、孤独を感じる時間が増えるだけ」と、ひねくれ、穿っていた。
重度の厨二病患者である。
あの時誰かが緊急搬送してくれれば一命は取り留めていたものを。既にステージ5の手遅れ状態であった。
そんなこんなで双子のシスターズは産まれた。
「産まれたわよ」と叔母から電話をもらった記憶がある。
とりあえず母ちゃんが無事だったことと、特に問題もなく2つの命が産まれたことに安堵した。
学校では照れから、周りにそんな態度はオクビにも出さず、すました顔をして過ごした。
いつも通りに絡んでくるヤニ臭い友達が模試の打上げカラオケに行こうと、いつも通りに誘ってきたが、僕はもう「お兄ちゃん」になったので、そんなヤニ臭いカラオケなんか子供のやることだとバチッと断ってやった。
あれ?血は繋がってないのになんでだろう??
数日後ほどなくして我が家に双子の女の子が到着した。
まあ、なんてったって赤ちゃんだ。
しかも2人。
「びゃあああ」と泣く姿と声が弱々しくて何と無力な存在であろうことか。
そのくせにいっぱしにウンチはするし、ミルクをぐびぐび飲む。
「あんたも手伝え」と言われ、恐る恐るミルクをあげてみた。
哺乳瓶の振動に合わせて、小さい喉がクピクピと音を立て、生あたたかいミルクの目盛りが減っていくのを見て取れた。
彼女らのお腹にそれは入っていった。
驚くべきことはなんの疑いもないことだ。
これが例え泥水でも飲んでしまうのではないかという危うさだ。
僕がとんでもないサイコパスで、このミルクに鼻くそやトリカブトでも入れたらどうなると思ってるんだ??
そして「うー」「あー」と言いながら僕の頬を触ってくる。
ペチペチとしたウェッティな掌だ。
それから双子はどんどんと大きくなっていった。
ハイハイを始めたと思えば、どこまでもホフクする姿は、自衛隊の軍事訓練を思わせた。
次第に二足歩行をはじめたかと思いきや、言葉さえ喋りだした。
「ママ」「パパ」「まんま」「スプー(当時のお母さんといっしょに出演していたバケモノじみたマスコット)」
だんだんとそのボキャブラリーも増えていった。
いつしか、毎朝登校前に朝の納豆ご飯朝食を2人に食べさせるのは僕の役目になっていた。
両親の帰りが遅い日は、双子用にカスタマイズされた3ケツ用のチャリに跨り、保育園まで迎えに行った。
保育士の先生や他の父兄からは不思議そうな目で見られ、2人を乗せたチャリは前方にアンパンマン、後方にドラえもんをデカデカと模したシートをしており「どうか同級生、ましてや好きな女の子に見つかりませんように」と祈りながら、地元佐賀の国道をブッ飛ばした。
帰ると風呂にもよく一緒に入った。
自然に、当たり前に、僕は「お兄ちゃん」と呼ばれていた。
屈託のない眼差しで「お兄ちゃん」と呼ばれてしまっては、オムツは替えるしかないだろう。
孟子曰く「人皆有不忍人之心」
井戸に落ちる子どもは必ず助けたくなるという性善説の冒頭だ。
僕は至った。
血なんか関係ないのだな。と。
僕には種違いどころか腹違いの弟妹もいる。
つまり生物学的には僕は5人兄弟の長兄にあたる。
しかし、オムツを替えてもいない弟妹との関係性はまるで無いに等しい。
僕の妹は彼女ら双子だけだし、間違いなく、自然に時間がたてば、僕と彼女らが残される未来がくる。
兄に課せられた任務はそう考えると重い気もするが、これからも兄貴として、彼女たちの反面教師でもありながら(笑)家族として支えていかなければいけないのかもしれない。
おそらくそれが僕の役目であり業と徳である。
だがしかし彼女たちはこんな僕より遥かに優秀で賢いのはご愛嬌。
そんな彼女らは2023年1月、成人の日を迎えた。
誕生日も近く、もう20歳。
立派なオトメである。
月日の流れを感じる。もう20年が経ったのか。
当たり前の話だが、16歳だった僕はもう36歳のおっさんだ。
20年前にペチペチされたヨダレ臭いウェッティな手は、今は我が息子にやられる日々である。そして兄貴として育児に参加してきたつもりだが、それは大きな勘違いで、親になってやる育児は責任の大きさが全く違っていた。
両親には感服するばかりである。
「あー」「だあ」などウチの息子はまだはっきりと言葉を喋らない。
妹たちは、同じ月齢の頃はまあペッラペラと日本語を駆使し、御託を並べていたかのように思う。
まあ男女比もあるらしいから杞憂であればいいが。
「お兄ちゃん」と呼ばれ、僕のことを「お兄ちゃん」と認識した妹たちはその後、「お兄ちゃんいつもありがとう」や「お兄ちゃんだいしゅき!」という言葉はついぞ言わなかった。
「お兄ちゃん」から始まる枕詞の後は決まっていつも「お兄ちゃん、がっこ、いきなちゃい!」だった。
環境や教育とは恐ろしい。
今の時期は三寒四温を繰り返し、春に近づく季節にもなってきたがまだまだ朝は寒い。
僕はいつも出社前に毛布にくるまり、初号機パイロット碇シンジの如く「逃げちゃダメだ×10」と「うごけ、うごけよー!!!(自分が)」を繰り返し心の中で反芻しながら、満身創痍で身体を起こしている。
そのうち息子には「おとうしゃん、かいちゃいきなちゃい!」と怒られる日が来るかもしれない。
そんな未来の妄想に嘲笑しながら、しばらくは、昔に聞いたシスターズの「いきなちゃい!」という20年前の叱咤激励をガソリンに、なんとかやり繰りしている次第である。
兄ちゃんは16年間、おまえらの兄ちゃんじゃなかった時があるけど、おまえらシスターズは生まれた時から20年間兄ちゃんの妹で、そうじゃなかった時はひと時もないんだよ。
みたいなことを西尾維新の物語シリーズで阿良々木暦が言っていた。
ほんとその通りだと思うぞ。
成人、おめでとう。
兄ちゃんは今でもおまえらの為なら、死ねる....以外のことくらいならできるぞ。