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うさぎのカタルシス

葬儀屋さん

双子の話

僕には双子の妹がいる。

僕が双子の片割れという意味ではなく、妹が双子ということだ。


16歳の頃だった。模試の後だったと思う。

母ちゃんは30代後半にして双子を出産した。

前日譚→ https://cellardoor.hatenablog.com/entry/2020/06/28/040223

 

妹ができたことを知らされた時は、特になんの感慨もなかった。

思春期だったからか「どうせ血は繋がっていない。この家族の中で、孤独を感じる時間が増えるだけ」と、ひねくれ、穿っていた。

重度の厨二病患者である。

あの時誰かが緊急搬送してくれれば一命は取り留めていたものを。既にステージ5の手遅れ状態であった。

そんなこんなで双子のシスターズは産まれた。

「産まれたわよ」と叔母から電話をもらった記憶がある。

とりあえず母ちゃんが無事だったことと、特に問題もなく2つの命が産まれたことに安堵した。

 


学校では照れから、周りにそんな態度はオクビにも出さず、すました顔をして過ごした。

いつも通りに絡んでくるヤニ臭い友達が模試の打上げカラオケに行こうと、いつも通りに誘ってきたが、僕はもう「お兄ちゃん」になったので、そんなヤニ臭いカラオケなんか子供のやることだとバチッと断ってやった。

あれ?血は繋がってないのになんでだろう??

 


数日後ほどなくして我が家に双子の女の子が到着した。

まあ、なんてったって赤ちゃんだ。

しかも2人。

「びゃあああ」と泣く姿と声が弱々しくて何と無力な存在であろうことか。

そのくせにいっぱしにウンチはするし、ミルクをぐびぐび飲む。

「あんたも手伝え」と言われ、恐る恐るミルクをあげてみた。

哺乳瓶の振動に合わせて、小さい喉がクピクピと音を立て、生あたたかいミルクの目盛りが減っていくのを見て取れた。

彼女らのお腹にそれは入っていった。

驚くべきことはなんの疑いもないことだ。

これが例え泥水でも飲んでしまうのではないかという危うさだ

 


僕がとんでもないサイコパスで、このミルクに鼻くそやトリカブトでも入れたらどうなると思ってるんだ??

 


そして「うー」「あー」と言いながら僕の頬を触ってくる。

ペチペチとしたウェッティな掌だ。

 


それから双子はどんどんと大きくなっていった。

 


ハイハイを始めたと思えば、どこまでもホフクする姿は、自衛隊の軍事訓練を思わせた。

次第に二足歩行をはじめたかと思いきや、言葉さえ喋りだした。

「ママ」「パパ」「まんま」「スプー(当時のお母さんといっしょに出演していたバケモノじみたマスコット)」

だんだんとそのボキャブラリーも増えていった。

 


いつしか、毎朝登校前に朝の納豆ご飯朝食を2人に食べさせるのは僕の役目になっていた。

 


両親の帰りが遅い日は、双子用にカスタマイズされた3ケツ用のチャリに跨り、保育園まで迎えに行った。

保育士の先生や他の父兄からは不思議そうな目で見られ、2人を乗せたチャリは前方にアンパンマン、後方にドラえもんをデカデカと模したシートをしており「どうか同級生、ましてや好きな女の子に見つかりませんように」と祈りながら、地元佐賀の国道をブッ飛ばした。

 


帰ると風呂にもよく一緒に入った。

 


自然に、当たり前に、僕は「お兄ちゃん」と呼ばれていた。

屈託のない眼差しで「お兄ちゃん」と呼ばれてしまっては、オムツは替えるしかないだろう。

孟子曰く「人皆有不忍人之心」

井戸に落ちる子どもは必ず助けたくなるという性善説の冒頭だ。

 


僕は至った。

血なんか関係ないのだな。と。

僕には種違いどころか腹違いの弟妹もいる。

つまり生物学的には僕は5人兄弟の長兄にあたる。

しかし、オムツを替えてもいない弟妹との関係性はまるで無いに等しい。

僕の妹は彼女ら双子だけだし、間違いなく、自然に時間がたてば、僕と彼女らが残される未来がくる。

 


兄に課せられた任務はそう考えると重い気もするが、これからも兄貴として、彼女たちの反面教師でもありながら(笑)家族として支えていかなければいけないのかもしれない。

おそらくそれが僕の役目であり業と徳である。

だがしかし彼女たちはこんな僕より遥かに優秀で賢いのはご愛嬌。

 


そんな彼女らは2023年1月、成人の日を迎えた。

誕生日も近く、もう20歳。

立派なオトメである。

 


月日の流れを感じる。もう20年が経ったのか。

当たり前の話だが、16歳だった僕はもう36歳のおっさんだ。

 


20年前にペチペチされたヨダレ臭いウェッティな手は、今は我が息子にやられる日々である。そして兄貴として育児に参加してきたつもりだが、それは大きな勘違いで、親になってやる育児は責任の大きさが全く違っていた。

 


両親には感服するばかりである。

 


「あー」「だあ」などウチの息子はまだはっきりと言葉を喋らない。

妹たちは、同じ月齢の頃はまあペッラペラと日本語を駆使し、御託を並べていたかのように思う。

まあ男女比もあるらしいから杞憂であればいいが。

 


「お兄ちゃん」と呼ばれ、僕のことを「お兄ちゃん」と認識した妹たちはその後、「お兄ちゃんいつもありがとう」や「お兄ちゃんだいしゅき!」という言葉はついぞ言わなかった。

「お兄ちゃん」から始まる枕詞の後は決まっていつも「お兄ちゃん、がっこ、いきなちゃい!」だった。

 


環境や教育とは恐ろしい。

 


今の時期は三寒四温を繰り返し、春に近づく季節にもなってきたがまだまだ朝は寒い。

僕はいつも出社前に毛布にくるまり、初号機パイロット碇シンジの如く「逃げちゃダメだ×10」と「うごけ、うごけよー!!!(自分が)」を繰り返し心の中で反芻しながら、満身創痍で身体を起こしている。

 


そのうち息子には「おとうしゃん、かいちゃいきなちゃい!」と怒られる日が来るかもしれない。

 


そんな未来の妄想に嘲笑しながら、しばらくは、昔に聞いたシスターズの「いきなちゃい!」という20年前の叱咤激励をガソリンに、なんとかやり繰りしている次第である。


兄ちゃんは16年間、おまえらの兄ちゃんじゃなかった時があるけど、おまえらシスターズは生まれた時から20年間兄ちゃんの妹で、そうじゃなかった時はひと時もないんだよ。


みたいなことを西尾維新物語シリーズ阿良々木暦が言っていた。


ほんとその通りだと思うぞ。

成人、おめでとう。

兄ちゃんは今でもおまえらの為なら、死ねる....以外のことくらいならできるぞ。

 

 

バナナホルダーをその舟に乗せろ

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高瀬舟ーーー。


国語の教科書にも載っている為、知ってる人も非常に多いだろう。

医師免許を持った異端の作家、森鴎外による短編小説だ。

20年以上前に教科書で読んだこの小説が、最近気になって仕方がなかったので久々に読了した。


活字や紙の本が苦手な人は、YouTubeで朗読バージョンもあるのでそちらもレコメンだ。

声優さんの綺麗な声で短編の為30分ほどで終わるのでかなりお手軽なように思われる。

寝る前なんかは特に良い。

 

 


京都には高瀬川という川があり、島流しにされる罪人は高瀬舟に乗せられ京都から大阪へと送られる。


京都町奉行の庄兵衛は弟殺しの罪で島流しとなった喜助を護送するため、高瀬舟に同乗した。一般的に高瀬舟に乗せられた者は悲しそうな素振りをするのだが、喜助はそのような様子を見せることなく楽しそうにしている。

 


それを不思議に思った庄兵衛は、喜助に事の次第をたずねる。喜助はつらかったこれまでの暮らしに比べれば、牢では何の仕事もせずに食べ物が与えられることや、はじめて自分の自由になるお金を持つことができて、それを島の仕事の元手にできるということがありがたいと言う。


そして、弟を殺したのは、自殺をはかったが死にきれずに苦しんでいた弟に頼まれてのことだったことも明かす。

 

 


ざっくりしたあらすじは、こんな感じだ。

 


病に臥し、兄貴の迷惑になれないと弟が自殺を図るシーンの目も覆いたくなるほどのひりつく臨場感や、ラストで庄兵衛は最後までこの喜助がしたことは果たして罪といえるのかという答えを出せないまま、高瀬舟は夜の川に消えていく情景の表現は、さすが。まさに森鴎外の傑作である。

 


さて、この小説は一般的に2軸のテーマがある。

 


表立ったひとつのテーマは「安楽死の是非」を問うもので、

 


もうひとつの裏テーマが「知足」

 


つまりは「足るを知る」ということについてだ。

 

 

 

当時この小説を読み終えた後、中学生くらいだったか「安楽死の是非」についてクラスでのディベート大会が行われた。

僕はどちら側でも良かった。

のでテキトーにのらりくらりとした意見を述べた。

 


それよりも僕が興味があったのは、この裏テーマである「足るを知る」ということについてだ。

 


知足。足るを知る。

老子の言葉で「足るを知る者は富む」

つまりは、「何事に対しても、“満足する”という意識を持つことで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていける」

 


ということらしい。

 


当時僕は高瀬舟の感想文に、「そんな人間なんかいない。リアリティもくそもない。人間はどこまでいっても欲深い生き物で、それには際限がない。しかし、それこそが人間の本質で美しい」みたいな内容を書いたように思う。

 


ホトケになれってのか??馬鹿馬鹿しいと。

15歳が書くにはまあまあ過激だが、当時AC/DCThe Clashなんかを聴き、ドラッグ、セックス、ロックンロールな僕からすれば、すごく真っ当にすくすく育ったなと思われる。

 


僕は10年以上、辞めとけだ、ブラックだなんだと言われる飲食業界に従事し、それなりに楽しく暮らしていた。

15時間労働もなんのその。終わらなきゃ帰れないんだから。

100連勤?おー上等だコラ。ソリが合わず社風に背く奴をクビにしたんだから。

雀の涙と言われる給料でゲームを買って、酒が飲めたらそれで良かった。

「ブラックなんて他人が決めるモン」

「自分が決めた道に言い訳をしたくない」

そんな言葉で自分を鼓舞し、命を懸けた。

 


それが間違っていたなんて葬儀屋になった今でも思ったことはない。

 


転勤ばかりしていた暮らしの中で、引越しにも慣れ、それも洗練されると、冷蔵庫や洗濯機、ましてお気に入りのソファーなんかない生活が僕にとっては至極当たり前の話だった。

 


僕の夢は再三再四、家族を育み、地元の佐賀県の空き家となっている生家で死ぬことである。

最近両親の助力により、その家を改築したもらった際、9世紀頃の土器やら、城の石垣やらが出てきたらしい。

やはりパワースポットなのだなとホッとしたが、その話は面白いのでまた後日。

 


遠くの地にて死ぬことを決めている僕は今あるモノ全てが単なる「借り物」のような感覚なのである。

なぜなら持って行くには重いモノばかりだし、天国に5Kテレビを持っていった人を見たことがないのを重々承知しているからだ。

 


しかしなにもミニマリストヴィーガンのように生きろと言ってるのではない(同一視して申し訳ないが禁欲、節制的な意味で)

冷蔵庫はやっぱ便利だし、ゲームはしたいし、エアコンは快適だ。

飢えに苦しむ子どもたち?ふーんあっそとマクドハンバーガーを食べきれないと残してしまう。それが現実。

体験がなければ人間は本質を理解できない。もしくは理解したつもりになることしか出来ない。

そういった意味では15歳の僕が伝えたかった内容は本質的には正しかったかもしれない。

 

 

 

それが、今やどうだ。

 


家があり、車がある。

大きなテレビと食事をするIKEA産のダイニングテーブルや椅子がある。

綺麗な妻と可愛い息子がいて、たまに外食や牧場にも行ける。

 


胡散臭い自己啓発セミナー講師や経営者は迷える仔羊にいつもこう問いかけてくる。

「夢はあるのか?」「あなたの夢を教えてください」「そのためにしていることはなんですか?」

 


またその話か?

 

 

 

夢ならとっくに叶っている。

 

 

 

夢は社会的な願望とはまた違うところにある。

夢が叶えばまた別の夢をでっち上げて、終わりのない螺旋階段を昇るんだろうか。

社会的にはきっとそうかもしれないが、夢と願望をごっちゃにしてはいけないように思う。

金だって稼がなきゃいけないし、オムツだって買わなきゃいけない。水道料金や車検費用もそうだ。

息子が産まれるまでは健康にさえ産まれてくれと願い、健康に産まれれば、やれチャリに乗れるようにと、スイミングができればいいだの、やれいい大学に行けるように教育をだの。

マッコトいい例だ。

 


「足るを知る」為に「足るを知らない」世界で金を得る矛盾が存在する故、死んでホトケにでもならなきゃ「足るを知る」意味なんか真に捉えることはできないだろう。

明日から、やれ金が欲しい、やれもっといいメシが食いたいだのと宣う僕がいるだろう。


「足るを知る」とは生きている限りは、立ち止まって振り返り、刹那的に知るものだ。

そしてそれを逡巡し繰り返すことが人生なようにも感じる。

 


15歳の僕とは違う結論が出た。

当時の彼は人間の薄汚さや動物的な本性に興味があったんだろう。

それは間違いではなかったが、正解でもなかった。

そう考えるにはお前はまだ若く勿体無い。と今の僕なら言えるだろう。

これだって「足るを知る」ことであろうか。

今あるものにひたすら感謝を惜しまずにはいられないな。

そしてこれ以上望むものなんか実は大してないかもしれない。

 


久々に森鴎外を読了し、高尚な感傷に浸っている最中だった。

 


我が良妻が、IKEA産の木目テーブルの上のバナナを指差して

 


「'バナナホルダー'が欲しいねんけど」

 


と言った。

 

 

 

なんでも愚息の為、朝食やおやつにもよくバナナを購入するらしいが、テーブルの上に長時間置いておくと足も早く、鮮度や味を保つ為にもバナナホルダーの購入を検討しているらしい。

 


バナナホルダーを僕は東急ハンズで見たことがあるが、バナナ1本に対して1つ。曲線のケースがあり、まあまあな幅を取る。

そんなもの房単位だと何本分になるのだろうか。

そんなやつが堂々とした風体で毎日食卓に鎮座するのは邪魔が過ぎやしないか。

全くもって足るを知らねェの代名詞。

当時こんなものを購入するのは何処の阿呆だと嘲笑した思い出が一気にフラッシュバックした。

 


良妻賢母で、元AKB渡辺まゆゆ似の女性がそこにはいた。

紛うことなき僕のラヴァー。

君は阿呆なんかじゃない。今日も愛している。

 


そして僕は知っている。

 


以前妻がネットで買った「バターカッター」なる長方形状のケースで、バターを小分けに切り保存する道具が今、冷蔵庫でバターをお迎えすることなく、平城京の街並みかの如く区画整理された様子で、空っぽのカッター冷やし器になっていることを。

 

「このへんが左京かな??じゃあこのへんが右京だね」

などと言ったら、日本史に微塵も興味ない妻に「あなたの命を頂きまゆゆ♡」とKGBばりのスキルをもって、バターカッターで切り刻まれそうなので、口が裂けてもその冗談は言えずにいる。

 


それでも明日には「愛する息子の為でしょ」の大義名分のもとに、バナナホルダーを握りしめレジへ向かう36歳の中年がいるかもしれない。

 


いやはや、「足るを知る」だなんて全く難儀この上ない。

 

花とゴリラ

 

実はこの4月から仕事でかなり疲弊している。


僕の職場は病院で、変死、不審死を取り扱っており、刑事や医師と働き、臭い汚いキツいの三倍満な労働環境である。


しかしそれ自体も半年ほど勤務すればどうってことない。

葬儀屋には警察お抱えの葬儀屋とそうでない葬儀屋があり、弊社は前者。

監察医制度に基き、他社含む合同3社で神戸市の変死人を捌いている。

1社につき、2名のレペゼンが大学病院へ送り込まれ、計6名の人員で、休みも当直も回しているという状態だ。


僕は昨年の秋から「修行」の名目で出向している。

このたび春の人事パン祭りで、ツーマンセルの相方が本社に帰る運びとなった。

自社生花部の兄貴分で、生花部のクセに「カネが欲しいから」と葬儀社の宿直からご遺体の搬送までやる変な兄貴だった。

ソシャゲばっかして仕事のやる気はないが、やることはやりまっせという姿勢を貫き、辟易とした日々もあったが今となればその日々すら愛おしい。


問題は次の相方であった。


生花部の部長が出向の任を命じられたという。

本社の時もあんまり絡みはなかったが、齢50半ば、口が吃ってなんの言語を喋っているのか分からないオッサンだった。

「〇〇くん(僕の名前)、キレると思うけどガンバレよ、、」

不安だけを言い残し花屋の兄貴は病院を後にした。

 


4月、花屋の部門長は冬に見つかった糖尿の所為で痩せた姿ではあったが、のっしのっしと堂々としたふてぶてしい態度で病院へ現れた。

 


このレジェンド、やはり只者ではなく、この3社連合の黎明期から15年間、病院へ出向していたとんでもない人物だった。

15年の流刑ともとれる苦行のあと、本社へ戻り、花屋として10年。この道の大ベテランだったのだ。

医師免許や技師の資格もなく、ご遺体の頭を開き、脳を出し、縫合なんかをしていた(厳密には違法ではないがグレー)今じゃアウト!な時代を生きた猛者。

 


ペーペーの僕は知りえないが、これはまさに本人としても「王の帰還」そのものだったのである。

 


さらにこの春から「番頭」と呼ばれる3社連合の代表が入札によって弊社に決まっていた。

番頭の仕事はシフトの管理や備品の発注、管理、解剖の集計や請求書の発行など、言っちゃえばまあ煩わしい仕事が増える状況ではあった。


番頭になってはしまったがまさに渡りに舟、レジェンドがいるなら大丈夫だと思っていたのは時間にしておよそ10秒くらいのものだった。


「ひょうからほぉろすぃくをねぇがいします」(今日からよろしくお願いします)

相変わらずなにを喋っているのか分からないレジェンドは僕に向かって開口一番こう言った。

 


「シフトの休みはなんとかならひぇんの?この日を休みたいにぇんけど」

 


僕は目を丸くした。

シフトは大事だ。まして計6人で休日も当直も行っている体制ゆえ、常に1人は休んでいる状態で、その中でも他社との兼ね合いや司法解剖の有無で、どないかこないか連休などをかましている。

1人欠ける支障が10人、20人の組織よりはあったりするのだ。

そして春から番頭となってしまったがゆえ、その責任や管理も僕ら「2人」にあった。

 


1年前からの約束があるというレジェンドは病院にも戻ってきたてで、大変な心情もあろう。僕は当直を1回増やし対応することにした。

 


焼鳥屋の店長時代に20歳そこらの若造バイトたちによく個人LINEでこの日を休みたいと言われた日々を思い出した。

そのたびに僕は店舗のグループLINEで連絡し、代わりを見つけなさいと、どうなったのかを報告しなさいとよく言っていた。

 


まさか。レジェンドもそっち側なのか??

 


僕の皐月賞有馬記念の馬券は当たらないくせに、「単勝 イチマツノフアン」だけはやはり的中した。

 


僕たちの大事な仕事のひとつに「遺族さんへの対応」がある。

扱う遺体の多くは、終末医療での覚悟の死などではなく、「今日死ぬ予定ではなかった人たち」が大半だ。

当然残された家族は茫然自失し、泣き叫ぶ人もいる。

そんな中、葬儀屋の案内をしなければならないから、精神的にはかなり「クル」業務だ。


レジェンドはその業務をかなり僕に振ってきた。

 


まあ、得手不得手もあるし、なにを喋っているか分からないオッサンがいくよりは僕が頑張ればいいか。

ただ、花屋の兄貴がいた頃はこんなことなかったのにな...

僕は日に日に疲弊していった。


備品の発注や買い出しもたくさんある。

レジェンドは全く手伝ってはくれなかった。

遺体の搬送も決められた役割やルールを全く守らなかった。

輪をかけて、報連相をしないものだから、動きが全く分からない。

それは他社の方々も、引くもので、「え...?」という空気は数多く病院の事務所を流れた。


苦言、注意喚起とまではいかないまでも「これは今はこうしています」と伝えると「なんか文句あんの??」と恫喝し、二言目には「昔は~」の枕詞で始まる生産性のない昔話をする。

 


あれ??これは。。。

僕の中に「老」と「害」2つの漢字が浮かんできた。

 


見るに見兼ねた花屋の兄貴が何週後かに話を聞いたげると飲みに連れて行ってくれた。


僕は時間の許す限り、レジェンドへの熱い風評被害と罵詈雑言を繰り返した。

花屋の兄貴はレジェンドの生花部創設から同じ部署で共に10年仕事をした、まさに「トリセツ」を持った人物。なにかヒントはないか、藁にもすがる思いで話をした結果、兄貴はこう言った。

 


「〇〇くんさ、アイツのこと人間やと思ってるやろ?ちゃうで。アイツは人間ちゃうから、明日からゴリラやと思ったらええ」

 


青天の霹靂。

僕は勝手に期待し、勝手に傷ついた悲劇のヒロインぶっていたのかもしれない。

とはいえ、この疲労感はなあ。

 


ゴリラは相変わらず、人の話を聞かず、何の言語を操っているのか分からない言葉を発し、ゴーイングマイウェイを貫いている。

それもゴリラなのでやむ無しということであろうか。

僕は出来るだけ自分の感情を取り除き、ガラス張りの評価で、ゴリラによる業務への支障をノートにびっしり書いていた。

でもそんなことはゴリラには通じない憤りも感じながら。。。

 


そんなある日。

親日家の中国籍の男性だった。

貿易会社の代表で自宅は大豪邸。


三島由紀夫になりたかったのか、自刃による割腹をした後、自分の首や胸を刺しても死ねなかったので、その人は飛降を図り、頭が割れ、ようやく死ぬことができた。

そんなウルトラハードな身体が到着した。

中国本土にいる遺族の強い希望により、メスをひたすらに入れて欲しくないと。

しかしそれだと縫合だってままならず、脳みそがこんにちはしている。

さて、どう処置したものか。


困り果てていたところにゴリラが現れた。

おれに貸せと言うや否や、見たことも無い包帯術を使い、頭蓋をガーゼで貼り付け、出来るだけ止血をし、搬送できる状態へと戻した。

ドン引きなのがほぼ素手の状態である。

尊敬と侮蔑がいっぺんに押し寄せた変な感情の狭間で僕は、「頼りになるじゃないか」とおこがましいが、レジェンドであることを見直したことがあった。

 


先日、数ヶ月ほど前に入った弊社の生花部の若手と飲む機会があった。

関学川崎重工のエリートのくせに「面白くなかったから」とあっさり辞め、何故か葬儀屋の花屋で働くピチピチの25歳。

少し話しただけで分かる、今風な価値観をもったTikTokな世代である。

 


そっちはどない?と聞いた。

 


「〇〇さん(レジェンド)という'足枷'が病院に行き、居なくなったことで花屋の雰囲気は劇的に良くなってます!」

 


明朗に彼は答えた、いや、明朗過ぎる程に。

 


僕のサッカー界のアイドルは同世代のリオネル・メッシだ。

戦術や理論が確立された現代で、異次元のプレーに何度も心を鷲掴みにされた。

しかしブラジルのキング、レジェンド、ペレは「あいつは凄いが、おれよりはショボい」と言う。

 


ペレはもう80を超える爺さんだ。

ペレのプレーを知っている人が世界にあとどれほどいるか知らないが、約半世紀前にプレーしたおじいちゃんがなんか言ってらと、その声は僕には届かない。

もしかしたら、ペレと奴は同じかもしれない。

 


ただ、レジェンドは、自分の葬儀屋人生を花屋で終えようと思っていたのではないか。しかし此度の任。

老体に鞭打って10年振りの当直業務をこなし、全く寝てる様子はない(その分昼間に寝る)

糖尿が発覚し、大好きなコーラを控え、昼食は枝豆みたいなものをちょぼちょぼと食べている。

もうすぐ孫が産まれるそうだ。

そりゃ、自慢やホコリくらい主張したっていいじゃないか。

 


明朗すぎるほど自然に、あっけらかんと、ゴリラを「足枷」と言った花屋の若手の彼に、僕は同調と賛同するのと同時に、恐怖も感じていた。

 

次の足枷ゴリラは僕かもしれない。

 


若者はいつの時代も嫌われている。

「ゆとり、さとり」と呼ばれ、挙句「Z世代」

若者もそんなオッサンたちを「老害」とディスり、Twitterの鍵垢に不満をぶつける。

分かりやすいハズの組織構造は歪な形を成しているのはどこも大体同じハズだ。

 


僕は若者でもないし、ベテランというほどキャリアもない。

カネなし世代の中間管理職。

ただ、上にも下にも配慮し、遠慮する為に生まれてきたわけでも働くわけでもない。

自分の中の老害チェッカーを設けて、きたる日を僕は楽しみにすることにした。

 


そこまで諦念思想でいられるほど令和じゃないし、利己主義でいられるほど昭和じゃないからだ。

 


大した成長もせず、時代ごと飛ばされた扱いのHey! Say! JUMPの残りカスとして、ゴリラや宇宙人と共に歩んでいかなければならない。

全くもってダルい。


働くって最高にめんどくさい暇潰しだね。

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ロザリア ロンバルドよ、聞こえるか。

 

2か月ほど前に「ミイラ展」なるものに行ってきた。

妻に興味あるんじゃない?と言われ神戸市立博物館へ赴いた。


博物館には春休みの大学生のグループを始め、僕らファミリー層以外にも課外授業の一環として来館したであろう中高生などで賑わいを見せていた。


5体のミイラが展示されており、性別や年齢も様々、各時代におけるミイラ作りの進化の変遷を堪能できる内容で、棺や麻に包まれたミイラは、最新の3Dスキャナーでモニターに全容を立体的に再現し、ミイラだけにミライな展示方法には舌を巻く迫力があった。


妻を始め、来場者がしげしげとミイラを眺め、抱っこ紐で吊るされた息子が深い呼吸で寝始めた頃、きっとそうであろう、その中で僕だけはなんとも納得できないモヤモヤした想いをひとり抱えていた。


僕は休日以外、仕事でほぼ毎日ミイラの相手をしてる。


展示されている鎌のような鍬のようなでっかい耳かきみたいな道具やらで、遺体を処置し、ミイラとして保存したのなら、それはまじで神業レベルの話であり、その所業の偉大さ、ガチでそれを使いミイラを作ることを頭の中でシュミレートしている人間は僕1人だけだと感じた。

冷静に考えれば、それはそうだろう。


「こいつら(来場者の方々)はあんだけ興味ありげに見る癖に、本気でやることを考えていない」と謎のマウントとプライドが発動し、妻を困惑させたのは申し訳なかった。

だからどうしたという話だ。


なにせミイラ作りはロストテクノロジー

失われた技術そのままで。まして現代の日本の令和において、恣意的にミイラとして処置された人はいない。

では僕はミイラの相手をしていないじゃないか?

のんのんのん。僕が相手にするミイラは偶発的に、奇跡の自然現象でミイラ化したホトケさんに過ぎない。


一般的に孤独死と呼ばれるものや、海から流れ着いたものまで、その種類は幅広い。

 


なんのソシャゲかRPGか、〇〇葬という名前には全部エレメント属性がある。

みなさんがよくご存知の火葬や土葬(埋葬)をはじめ海洋等にご遺体を流す「水葬」(戦争や天災などに適用される場合が多い)や、近年流行に火がつき出してる「樹木葬」(樹木を墓標とする場所も費用もコンパクトな永代供養)といったまるでNARUTOの世界観。


それと合わせて、何百年前の日本には「風葬」という弔い方もあった。

風属性までついて、聞こえはカッコいいこの風葬だが、「自然に還す」という意味がある。

いわばまあ、その正体はNOZARASHIそのものだ。


その中でも極稀に、ウジが湧くことなく、お魚さんに食べられてもいない、腐敗を免れた遺体というものは存在する。

それがいわば現代にも見られるミイラ化現象で、それは「永久死体」と呼ばれている。

ぜったいれいど」くらいカッコいい響きだ。


世界一有名で美しいとされるミイラはイタリアはパレルモのとある納骨堂にある。


ロザリア ロンバルド(享年2歳)のミイラだ。

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これは絵でもなく、写真であるから驚きである。

 

幼くして亡くなった彼女の死を、悲しんだ将軍のパッパは、遺体保存専門家であり医師として高名なアルフレード サラフィアに防腐処置を依頼した。

彼は現在で言うところのエンバーミング技術(切開しホルマリン等の保存液を注入、老廃物の吸引、洗浄、縫合、修復)に近いものを独自に開発し、ロザリアに実践。


眠っているだけのような、完璧なまでのミイラが完成した。

 


父親は当初、毎日のように納骨堂を訪れたが、決して変わることのない娘の姿に深い悲しみを覚え、やがて彼女の元を訪れることはなかった。

 


というのは皮肉で切ない話。

 


彼女の死から100年以上。驚くべきことに彼女はまだこの姿のままイタリアの地下で眠っている。

 


そんな中、先日病院にも永久死体のご遺体が来た。

 

海上保安庁が「レアモンです」とまるでカードショップの店員みたいなことを言ったが、それはまさに今までに見たことのないご遺体の状態だった。


海を漂っていたその遺体は、見た目からは死亡時期も分からない。

いや、もっと言えば、「ヒト」なのかも分からない状態だったのだ。

彫刻のような、粘土のような、ヨーグルトのようなゼラチンが骨の周りを覆っている。

身体中にクリームを塗りつけたような状態だ。

そしてなんたる異臭。

 


調べて分かったのだが、これは永久死体の一種、「死蝋化(しろうか)」と呼ばれるものであった。

 


ミイラと呼ばれるものは、永久死体の中のひとつであり、今回僕が見たのはその永久死体の派生系にあたる死蝋化というものらしい。

そんな急にゴムゴムの実が動物系悪魔の実の幻獣種モデルニカでしたとか言われても全くもって困る。

 


その遺体は奇跡的な自然環境のもと(深海ほどで光が差し込まない、水温がかなり低い等の条件)魚にも食べられることなく、陸に上がることが出来たのだ。しかし、1度陸に上がってしまえば、その遺体は防腐処置等を行っているわけはなく、急速に腐敗が始まっていた。

それが異臭の正体。

 


知床の遊覧船の事故に思いを馳せる。

海保は今頃クソ忙しいだろうなあとか、この遺体は「おそらく」観光船の乗客で、「おそらく」成人男性という報道でも、ホトケさんの状態はかなり悪いだろうということがヒリヒリと伝わる。

 


責任の所在や事故原因、安全管理の問題は様々あるだろうが、なによりも今は引き上がってくるご遺体に手を合わすくらいしか僕としてはない。

 


同郷の佐賀県からも2人のおっちゃんが引き上げられた。

1人のおっちゃんは沈む船の中で、奥さんに電話をしたらしい。

 


「沈没しよるけん、今までありがとうね」

 

とだけ。


この報道を目にした時、頭で完璧な佐賀弁が再生され涙が出そうになった。

 


戦争によるプロパガンダに敏感となった我が国は、この事故によって遺族のパーソナルな部分の報道の必要性についても議論が起きている。が。

必要性云々、人としてなにを思うか感じるかである。

要らない情報はインプットしなければ良い。

例えば家族が出来て、子どもが亡くなる事件に深い悲しみを抱く価値観の変化はまさにそう。

自分ならどうしただろう、なにが出来るだろうと考えることに本質があると僕は思う。

メディアの煽情だと宣う奴らはどうも土俵の外からの話ばかりであまり仲良くなれる気はしない。

冷静さは必要だと思うけどね。

 


そういう意味じゃ、死を常に傍らに置いて、最期にありがとうと言えた同郷のおっちゃんを僕は誇りに思うし、幸せ者だとも思う。決して美談にする気はさらさらないが、「ありがとう」を言えて死ねた人はかなり少ないからだ。

なにより死の淵でこの言葉自体はまぐれで出たものでなく、このおっちゃんの人柄そのものの投影に過ぎない。

 


死体のことを怖いと思ったことはない。

「こりゃひでぇな」「えぐー」とかは思うが、特に僕自身は至って「無」だ。

どんな遺体にも「おつかれさま」と思いながらこの仕事に臨んでいる。

遺体は喋らないし動かないので、お礼も謝罪も残された家族や恋人には言ってくれない。

尚更、自分の生にスポットを当てられた気分になるわけだ。

 


僕からすりゃ、先の観光船の会社社長のちんぷんかんぷんなアタマの弱そうな会見内容を批判するよりも、今日、自分の大切な人に「ありがとう」が言えるかどうかである。

この言葉は特大ブーメランとして自分の脳天に突き刺さるのがより一層、難儀を極める。

 


世界一美しいミイラ、ロザリア ロンバルドはこの先もその可愛さを封じ込めたまま、イタリアの地で眠ることだろう。

しかし彼女が生前、ありがとうと言って亡くなったかは分からない。

僕らはきっと美しくもないただの骨だけになるかもしれないし、水死体で性別不明の不詳遺体になるかもしれない。

ならせめて最期や在りし時くらいはロザリアちゃんばりに中身くらい美しくさせてほしいものだ。

それは教科書にないノンテンプレートな自己評価で構わないと思う。

というかそっちくらいにしか主体的に価値はないとさえ思う。

 


ただやはり心配なのは、僕がもし此度の観光船の乗客だったとして、沈みゆく中、死にゆく淵、妻に電話をし、「ありがとう、愛してる」とでも伝えたとでもしよう。

すると妻が「は?wwなんなんきっしょ」という類の返しになるだろうことが容易に想像がついてしまう。

 


「お、おいおい〜そりゃないで〜」など言いながら死んでなるものか。

 


それだけは杞憂であることを祈っている。

 

フラットアーサーvs芦田愛菜さん

 

フラットアースなる「地球平面説」をご存知だろうか。


地動説の科学的な証明から幾百年。

なんと未だに地球が平らであることを信じてる人たちがいる。

彼らはその名の通り「フラットアーサー」と呼ばれている。


この話を聞いた時、僕は地球が丸いか丸くないかの真偽よりもこの人達の存在そのものに驚いてしまった。


彼らの主張は様々あるが、端的にまとめるとこうだ。

 


●「NASA」はヘブライ語で「騙す」という意味があるらしく、NASAが僕達に見せる映像や写真は全て嘘。CG。

 


●地球は自転をし、公転をしているが、その速度はマッハを超える。しかしそこに住んでいる我々がその速度を知覚できないのはおかしい。

 


●平面状の円形の地球の周りは南極の氷で覆われており、ゲームのように地球の端には「壁」が存在する。

 


●重力というものはなく、密度と浮力で説明は可能。←?

 


とまあ、だいたいこんな感じの主張をしており、絵にするとこんな感じらしい。

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地動説vs天動説を描いた漫画「ち。」よろしく、これまでどれほどの血と知の基に今の科学や天文学があることか。


例えば、時速300kmの新幹線に乗り、僕が風圧やGを感じたら、それはとんでもない事だ。


そこで僕がジャンプでもしちゃえば、一気に先頭車両から最後尾の車両を突き破って線路の彼方へ吹っ飛ぶだろう。

そうはならず、この世界には慣性の法則というものがあることを僕は10歳の時に知った。


とまあ、ド素人目線からでもツッコミどころ満載の理論なのだが、馬鹿に出来ないのがその規模感である。


「フラットアースジャパン」なる団体もあるらしく、定期的に意見交換会が都市圏で開催されるそうだ。

調べるとなかなかの規模のハコに、大人数を収容しており、議論の内容はかなりの沼具合で笑いを禁じえないので、是非、落ち込んだ辛い日にお調べされることをオススメする。

誰かの手によって、隠蔽したい事実が世界にはたくさんあるらしい。

まさにユニバース。

飛び交うトンデモ理論には心が踊る。

集まった人たちは主にYouTube等の動画を見て、関心を持ち、地球平面説という真実に行き着いたらしい。

なんともお手軽な真実でなにより。


しかしその内容はあまりに、地球が平面だ!という主張や根拠よりも「球体であることへのディス」の方が目立っていた。

それよりも「なぜ」YouTubeの動画を信じて常識とされているものを疑ったのか、平面が「なぜ」正しいのかという議論のほうが聞きたいのに、それについてはあまり深くまで掘り下げてはいないと感じた。

 

ここで引き返せばいいものを、知的探求心で、先日、あるネットのコメント欄で僕は上記の質問をフラットアーサーたちにぶつけてしまった。


その結果僕のアカウントには日夜フラットアーサーが代わる代わる訪れ、よなよな議論を重ねることに(ボスラッシュ)


ほんとのことを言っちゃえば、僕は地球が球体であろうがなかろうがどうだっていい。

 


「宗教じみていて気持ち悪いですね」

リテラシーという言葉をご存知ですか?」

 


と喉まで出かかってそれを押し殺し彼らの話を聞く1週間だった。


彼らも馬鹿じゃないのは理解出来る。

寧ろ当たり前のことに疑問を抱き、それを精査し確かめようとする姿勢はまさに科学の鑑だ。


宇宙人(地球外生命体)はいるともいないとも言えない。

観測できていないからだ。

とどのつまりは否定も肯定もできないはずだ。

量子力学的にはシュレディンガーの猫の箱の中に僕らは未だに住んでいる。

そんなことはこの世界にはごまんとある。


ただ気に入らないのは一貫して、証拠や根拠もなく片側の意見を否定ばかりする論理性の欠落と、最終的にコロナや戦争の話に帰結させようとする論調がかなり胡散臭かった。

 

僕が聞きたいのは「なぜ」常識を否定し、出処不明のYouTubeの動画を「なぜ」信じたのか。再三再四尋ねても、この動画を見れば解ります!だの、この方のTwitterに全て書いているだの。

僕は真面目なのでちゃんと目を通すが、気になる質問の答えはついぞ信者からは返ってくることはなかった。

だからやはり馬鹿が多いのかもしれない。

 


コロナに関してもそうだ。

根拠のないデマばかりが闊歩して情報が錯綜したのもここ最近の話だ。

先の戦争も然りではあるまいか。

結局サルがスマホを持ってるだけの話で、なにも進歩していない。


陰謀論にハマった会社の先輩は、家族ぐるみで此度のワクチンを1度も接種していない。

それ自体は否定もしないし、個人の自由で好きにすりゃあいい。

ただ眉唾なのはワクチンが遺伝子やらをバグらせて、数年後に接種した人が死ぬという人類補完計画的なナニカを盲信していることだった。


ヒトの遺伝子やらDNAに干渉できるワクチンがあればそれはその時点でこの世界は終わりレベルの大発見だ。

国の言うことを聞いて素直に接種した扱いやすい人たちより、不信感を先行させて断固拒否する人たちが生きるとな。

僕が国の暗躍部門の長なら、間違いなく殺すのは後者の方だろう。

そりゃYouTubeも消されるし、アカウントもBANされるだろう。

間違った情報を流布する迷惑者としか思えない。

それを彼らはさも大将首でもとったように騒ぎ立て、「キカンノボウガイダー!」などと宣う。

そうだ。妨害だ。

はっきり言ってクソウザいのだ。

 


先日特番の「タモリステーション」という番組において、MCのタモリさんがひと言も喋らなかったというニュースは記憶に新しい。

番組はウクライナ侵攻についてたっぷり2時間、専門家たちがあーでもないこーでもないという内容だった。

賛否両論あれど、沈黙を貫いたMCの判断に、僕は非常に知性と品性を感じた。

 


「正解は沈黙」

レオリオもびっくりのクラピカさんのドヤ顔である。

 

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要は不文律。自分の領分を自覚し、情報を吟味し、咀嚼する。

信じることなんかある日急に音を立てて崩れ落ちるのは知っている。

事象や摂理ならともかく、戦争やウィルスに付随する人の心や内面なんてまして不確定要素の塊以外なにものでもない。


頭が混乱するので

「8回転生したら顔面と頭の偏差値ガチャが上振れて、ついでにドラマやCMに引っ張りだこになった件」の主人公と僕が呼ぶ、女優 芦田愛菜「さん」の言葉で今日は締めくくろう。


これは彼女が映画の完成披露試写会で述べた言葉だ。

 


“信じる”について

 

「裏切られたとか期待していたとか言うけど、その人が裏切ったわけではなく、その人の見えなかった部分が見えただけ。見えなかった部分が見えたときに、それもその人なんだと受け止められることができる、揺るがない自分がいることが信じることと思いました」

 

「揺るがない軸を持つことは難しい。だからこそ人は『信じる』と口に出して、成功したい自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかなと思いました」

 


100点です。

おれもここまで言語化でき、完全体釈迦如来となれば、きっとフラットアーサーたちとも仲良くできたろうに。


芦田愛菜さんからすれば、

フラットアーサーは揺るがない自分の理想に縋る厨二病患者であり、僕は享受することを拒む器の小さい男ということか。

結局は同じ穴のムジナということですか。

恐れ入ります。


彼女の知性溢れる大きな瞳の奥にあるその言葉は、フラットに見て、嘘なんかじゃないよねと信じて憚らない。

 

デジタルシャーマンプロジェクトに寄せる泥人形とウクライナ

 

デジタルシャーマンプロジェクト概要

https://youtu.be/re9lVhQizBc

 

Abemaプライムで紹介されていたデジタルシャーマンプロジェクト。 「ルール?展」という去年東京のほうで開催されている'テクノロジーの発展に伴い、まだ未完のルールや制度を考える'という主旨の展覧会にて発表された計画のひとつで、それが「死後の労働における誓約書」であった。

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ざっくり言うと「あなたは死後、AIによって蘇生され、労働されることに同意するか」というもので、何年か前、紅白歌合戦にてAIの美空ひばりが歌を歌ったアレであり、伝説のロックバンド、ニルヴァーナカート・コバーンが「新曲」を出した件である。

 

デジタルシャーマンプロジェクトとは「新しい故人の見送り方」として注目を集めている。 動画の通り、ペッパーくんのようなものの中に故人がいて、顔もある。音声データから文章、会話を作成。故人の声色で会話が出来、身体的特徴のデータも再現。 「設定」としては「おれは死んじゃったけど、ロボットになって残された期間だけ家族や友人と過ごすことが出来るようになった。この身体は不思議な感覚だぜ」というもの。

亡くなってから49日間、残された方々と生活を送ることができ、49日目、プログラムは終了し、「本当に」?この世からいなくなる。 新しい弔いの形を提案し、遺族の心の整理を手伝う。 これがデジタルシャーマンプロジェクトの概要である。

 

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僕はこの問題について是非どちらの立場でもないというスタンスだが、とても面白い試みであると考えている。 シジュークニチや中陰の祭壇の常識が覆るかもしれないのだ。 死後自分たちの肖像権やデータが使われ続けることを労働と受け取った場合そのことについて自分がどう思うか、現在では意思表明する場が無い。

 

生きているうちに自分の死後がどう扱われるか考える時代がくるかもしれない。

 

今は美空ひばり夏目漱石など偉人たちのロボットによる「復活」にとどまっているが、それが一般人までに普及するのはテクノロジーとして遠くはない。

 

しかし要は既存のデータや写真を使って、「それっぽいナニカ」を赤の他人が作っただけの話。復活や蘇りという表現は間違いという主張もある。

 

故人復活の課題やメリットとしてまとめると

 

①第三者から見る故人の記憶が、人間の長所である時間による忘却の過程が得られない=死を認知できないことに繋がる可能性があること。故人に依存してしまう可能性もあり、テクノロジーの発展と共に死の再定義が必要。プログラム上のデータを消去しない限りは「生き続ける」「不死」のような存在になる。

 

②個人的記憶は周囲の人が亡くなることで消えるが、社会的な記憶は生前と変わらない姿で保存される→例えば会ったこともない癖に文句を言うのは偲びないが、一般論において太宰治は素晴らしい文豪であるが、すぐ女性と色恋の末、無理心中するメンヘラである。このメンヘラな部分は当事者たちしか知り得ないことであるが、文豪としての側面の太宰治は誰がどう見ても素晴らしいからパーソナリティの良い部分だけを切り取って社会的に保存しましょうねというものであり、その是非。

 

デジタルシャーマンプロジェクトにおける「49日縛り」はよく出来たもので、それ以上は遺族たちが困惑、錯乱、あるいはいつもどおり日々を、通常運転して「しまう」からなのか。製作者の計らいを感じる。

 

大阪大学大学院基礎工学研究科教授 石黒浩先生は「これから人との関わりを強く持っていくAIが登場してくる。みな、写真であったり、音声や映像、あるいは亡くなった人の言葉なんかをそれぞれ気に入った部分を持って生きる。」と仰っている。

 

意訳すれば、故人さんとの思い出の写真やビデオテープ、iPhoneがAIに成り代わってもなんら不思議じゃないということだ。 例えばアレクサが進化して、それに十分な知能を感じる人は急にアレクサが動かなくなった場合、アレクサが死んだと認識するやもしれないとも。

 

ここで僕はある哲学における思考実験を思い出した。

 

それが今日の本題。

 

「スワンプマンの思考実験」である。

 

【ある男がハイキングに出かけて、沼の傍で雷に打たれて死んだ。 その時、奇跡が起こり、雷が化学反応を起こして沼の泥から死んだ男と全く同じ見た目で、同じ記憶をもつ存在が生まれた。

 

この存在こそスワンプマン(泥男) スワンプマンは脳や心の状態も死んだ男と変わらないので、記憶や知識、感性も全く同じ。 趣味嗜好や癖、体質まで、スワンプマンと死んだ男と違うところは何一つない。 スワンプマンは死んだ男と同じ自我と記憶を持っているため、自分は奇跡的に生きていたと認識し、死んだ男と同じようにハイキングの続きをし、帰宅後、家族と食事をして、翌朝会社に出かけ、コーヒーを飲む。 スワンプマンが入れ替わって生活していても、周囲にもバレず、スワンプマンすらも自分が泥から生まれたことに気が付いていない】

 

ここで問題。

 

『このスワンプマン(泥男)は果たして死んだ男と同一人物か否か』

 

スワンプマンと死んだ男が別の人間だというのなら、何がどう違うのか、説明できるか。

 

というものが、所謂「スワンプマンの思考実験」だ。

 

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哲学好きにはたまらない、自我を問うもので、思考実験である為、当然正解などはない。

僕は親しくなった人たちに、酔っ払うとよくこのテの話をしてしまう(めんどくさい)

 

違う人物だと言う人たちの意見を一言でまとめるならば、観念論。そこで、自分は終わったのだから、自分のクローンのような泥人形がいてもそれは自分ではない。まあ、わかる。 そう答えた人は僕の統計上、女性が多かった。

 

同一人物だと言う人は、簡単に言うと物理主義である。他者から見ても自分。臓器も脳も、記憶も同じならば、それは自分自身であることに疑いの余地はない。まあ、わかる。 こう答えたのは男性が多かったように思う。

 

分かりやすく言うと「どこでもドア」はその最たる例で、あれが分子を分解、転送して物質を再構築するマシーンとした前提の上で、今まさに扉を開けんとするのび太くんと、しずかちゃん家の風呂に出てきた扉を開けた後のラッキースケベのび太くんは、果たして同一人物と言えるのかどうか。

 

突き詰めて難しく言うと、時間の連続性の有無か、空間の分断による差異かというところだ。

 

 

ならば「自我」とは?「死」とは??

 

問題はそこである。

 

僕はこの問にまだ答えを出せていないし、きっと一生出す気もなく楽しむだけである。

まさにデジタルシャーマンプロジェクトも同じだと感じた次第であった。

 

僕は今、葬儀社として大学病院に出向しており、解剖室で日夜、身元不明の腐った遺体や海に浮かんで流れ着いたブヨブヨの死体と向き合っている。

 

今日は飛降自殺で顔面が餅のように横に拡がった、お身体があった。頭はかち割れてて、脳みそがこんにちはしている。

 

ウクライナでたくさんの人が死んでるらしい。 冷たいことのように聞こえるかもしれないが、近しい人以外の死など大多数にとっては無関心だ。

 

だからといって戦争や暴力を許容できるわけがない。

 

21世紀初めての大きな戦争で、こんなてくのろじっくな世界で、20世紀よりも多くの情報がテレビやYouTubeTwitterに出ることだろう。

 

ただ、線引きは自分自身で行うべきで、真偽の審議はリテラシーをもって臨むほうが賢明である。

 

いつもひとつの真実は、たくさんの人が死ぬことだ。

じっちゃんの名にかけて。

 

僕は、当事者もしくは当事者意識のない、著名人やインフルエンサーの人が投稿するような此度の発言等については些か冷ややかな目で見ている。

 

綺麗事のような文言は死体の山を見て言ってほしい。

 

僕にはそれを言う権利は少しばかりはあるかもしれない。

きっと無惨な死体を見たら、1人の人間がどうこうするなんてできず、立ち尽くしてなにも言えることなんかない。それこそ手を合わすことくらいしかできないからだ。

 

或いはその人には親がいて、家族がいる。 恋人や子供がいるかもしれない。

そして殺されるくらいなら殺さなくちゃいけないかもしれない。

それのみは真。

 

職業選択や宗教、言論の自由のもと、死をなるだけ隣りに置いて、僕達は僕達の戦争をしなきゃいけない。

 

自我なんてものを考えられるだけラッキーだ。

 

「がんばれウクライナ」的なクソサブいコピーやリツイート陰謀論なんかどうでもいいし、プーチンの真の思惑なんかクソほどどうでもいい。

 

ましてゲリラ戦の様相を呈し、多くの市民が巻き込まれませんように。

我が青春、当時ACミランで活躍したサッカー界のレジェンド、「ウクライナの矢」と呼ばれたアンドリュー·シェフチェンコや若かりし時分によく見てた「ロシア人 エロ画像」の北国のワガママボディのドべっぴんたち。

彼らをなくす権利は誰にもない。

 

命は尊いって意味、最近やっと分かったよ。

てぇてぇ。

 

祈りとは心の所作


葬儀社に勤めて半年が経った。

このたびすごく良い仕事のタイミングなので、書き記しておく。


僕はおよそ10年以上に渡る焼鳥屋、飲食事業を卒業し、今年の春から全く異業種である葬儀屋で勤めることとなった。


主観的な話になるが、結論から言うと葬儀屋は飲食に引けを取らないしんどさであった。

人はいつ死ぬか分からないというのは本当で、12時間働いた後でも問答無用で電話が鳴り、施設や病院等にお迎えに行く。

それはまるでラストオーダーのない居酒屋に近いものがある。


お迎えだけに行くならまだ良い。

それから然るべき会館や寺、式場、ご自宅等にご安置し、枕飾り(線香をあげられるよう準備)をする。

担当に引き継ぎを済ませ、祭壇や相応の仏具の搬入、設営。宗派に合わせた道具や本尊の用意、必要とあればご遺体の処置、湯灌そしてご納棺。

通夜ぶるまいの料理の発注や供花の注文、出棺車両や会葬者の人数の確認、受付や椅子を並べ、お寺さんへの連絡、供養品の用意、寺によっては幕張(あの天井からびろびろーんとなってる白布)をする。


通夜までだけでもざっとこれだけの仕事があり、式当日や骨揚げ後にも様々な仕事があり、1件の葬儀の仕事が終わる。


家族や故人さん、葬儀も家族ひとつずつあるように、最期の形は全て違う。

こんなペーペーな僕でもこれまでたくさんのお別れに立ち会った。

 


誰にも見送られず、財布に100万入れてたおっちゃん。山の上で静かに亡くなってた。

葬儀代金を引いた額は県に預けられた。使ってから逝きたかったよな。


95歳のおばあちゃんが96歳の故人さん(旦那)に書いた手紙。蓋を閉める最後まで照れてなかなか渡してくれなかった。

「これが最初で最後のラブレターや」と一言。

どこまでもツンデレだった。


生後10ヶ月の赤ちゃんの葬儀。蓋を閉めた直後にお父さんは膝から崩れ落ちてわんわん泣いた。お母さんは虚空を見つめ終始呆然としていた。お母さんは末期ガンだった。

その2週間後にお母さんも逝ってしまった。お子さんが何人かいらっしゃったが、下の子はまだ死という概念すら理解していない年齢で、いつも通りお母さんに話しかけていた。かなりどぎつい部類。

 


段々、いろいろな経験をしていくと、往々にして人間は慣れてしまう。


それが高尚で高飛車な言い方をすると、僕の人間性や価値観や慈愛といったなにかが、音をたてて崩壊、欠落していく様が、ありありと分かり、これは人間として正しいのかどうか。という問いに行き着いてしまう。


そんなしょうもないとは言わないまでも、僕はペーペーのパンピーである為、そんなことで悩んでしまう日もたまにある。


自分の中の奥のなにかは燃えるように熱いのに、ある時はまるで機械のように冷たくなって、沈むように感情が消えて故人さんの鼻や口に綿花を突っ込み、葬送する。


ある日ご自宅にいつものようにお迎えに行った。気づいたら故人さんとご対面した際、手も合わせない自分がいた。

自分が自分じゃないような。そんな違和感だけは持ってはいけないと痛感する日もあった。


本当にこうも、人間性人間力が試される職場はない。

努力して勉強して練習して、毎日誰よりも早く職場に来た。

考えもせず、無意識だった。

それぐらいどうやら僕と葬儀屋はウマが合うらしかった。


僕の会社の場合は大体、入社後およそ2年程で、正式な社員雇用となる。

キャストスタッフという名前から社員へとクラスチェンジするのだ。派遣社員→正社員みたいなものである。

その大きな要因の一つにあるのは「覚えること」が膨大な量であるためであった。


このたび僕は会社史上最速で社員にさせて頂く運びとなった。

時代の潮流もあるだろうが、創業90年の中の最速はやはりちょっと嬉しいものがある。


焼鳥屋で培った社交性と演技力、なにより根性の賜物であると信じてやまない。

飲食時代、ヤカラのお客さんに土下座したあの日の夜の苦虫を噛み潰したような想いは、僕の中でなにも無駄じゃなかったってことだ。


そんな僕は今月から大学病院のほうで勤務することとなった。

全国5ヶ所の政令指定都市で施行されている「監察医制度」のもと、神戸大学医学部勤務というお面を被った常駐の葬儀屋で、会社の代表として1年間の出向を命じられた。

ウチの葬儀社では葬儀業界の花形である営業部への登竜門のような、葬儀の担当を任す前段階のようなそういった位置づけの業務であり、葬儀社に駆け込んでくるお客さんの応対のソレや業務の内容は全く異質で違うものであった。


つまりは、

刺し箇所が18コある殺人事件の悲壮感漂う人や、JRへの電車アタックで体が寄生獣みたいになっちゃった故人さんやら、孤独死の末、発見が遅れ、身体からイソギンチャク(ウジ)が跳ね回り、ファインディング・ニモしたくなるような人まで。


突然じゃない死などないが、その中でもまさに「まさか死ぬなんて」と思われていた方々を相手にしなければならない。


刑事と帯同し、病院や現場で呆然とした家族さんのもとへ「チワ〜、実は葬儀屋でーす」と行かなければならない。

サザエさん家の裏口に行くノリでは決してなく、並のメンタルでは務まらないことは確かだ。


私事ではあるが、この度、先週の水曜日に祖父を亡くした。

両親が離婚をして、別れた親父の方の祖父なので、何年も会っていないし、家は佐賀県の奥、唐津という場所で神戸市からはかなり遠く、親父の方にも家庭があるので、頻繁に顔を合わすこともなかった祖父。

それでも小さい頃は足繁く遊びに行き、いつも面倒を見てくれた優しいおじいちゃんであった。

 


一報を聞き、駆けつけた。

 


「わざわざありがとうな」

 


久しぶりに会う実父は白髪がかなり増えて、急なことで疲弊した様子だった。

照れながらに会釈する腹違いの兄妹、従妹たち。

その奥の和室におじいちゃんはいた。


祖父は入浴中に亡くなったとのことだった。

冬の季節、高齢者には多いケースだ。

今僕がまさに病院でしている業務の範疇で、既視感がバッと、フラッシュした。

手を合わせ、会社から好きに持っていけと言われた仏衣や脚絆、手甲や足袋をおじいちゃんに着せた。


おばあちゃんはキョトンとしていた。まさか焼鳥を焼いているはずの孫が葬儀屋になっていて、着せつけをしていることもあるやもしれないが、それよりもなによりもとても喜んでくれた。


軽く食事をし、帰ろうとした時、おばあちゃんがおじいちゃんのボロボロの免許証ケースを持ってきてくれた。

祖父はトラック野郎だったが亡くなる数年前に免許を返納していた。それでも大事なもので肌身離さず持っていたそうだ。

「へー免許って返納したら証明証をくれるんだねー」とのたまっていたら

 


おばあちゃんが「裏見てみ」と

 


免許証ケースの裏には1枚の写真が挟まれていた。

家の玄関か門の前で、仁王立ちする5歳ほどのブレザーを着たフェアリーな男の子の写真だった。

 


それは幼き日の僕だった。

 


おじいちゃんには僕も含めると孫が4人もいる。

ただ、おじいちゃんの免許ケースの中には僕のピン写しかなかったというから、なんともいたたまれず、後悔の念が湧きまくった。

なんでもっと会いに行かなかったんだろう。

これが遺族の気持ちか。


帰路、この仕事をしていて、良かったのかな。と刹那考えた。

そんなことを思えるほど僕には経験が浅く、まだまだ半人前なのだが、おじいちゃんの最後のお召し物を誂えることができて、微々たる贖罪の水を空っぽに近いグラスに少しは注げたのかな。


なんにせよ分からないが、祖父の為にも心身共に健康で。

この道を進むしかないニャ〜。。。


気づけばどっぷりと日が暮れて、玄界灘の冷たい風が頬を差した。

 

気温は寒かったと思うが、それどころじゃなかった。

僕は口いっぱいに広がる、20年振りに食べたおばあちゃんの大根の漬物の残り香を「こんな味だったっけな」と思い出と検算しながら、思索に耽っていたからだ。