花とゴリラ
実はこの4月から仕事でかなり疲弊している。
僕の職場は病院で、変死、不審死を取り扱っており、刑事や医師と働き、臭い汚いキツいの三倍満な労働環境である。
しかしそれ自体も半年ほど勤務すればどうってことない。
葬儀屋には警察お抱えの葬儀屋とそうでない葬儀屋があり、弊社は前者。
監察医制度に基き、他社含む合同3社で神戸市の変死人を捌いている。
1社につき、2名のレペゼンが大学病院へ送り込まれ、計6名の人員で、休みも当直も回しているという状態だ。
僕は昨年の秋から「修行」の名目で出向している。
このたび春の人事パン祭りで、ツーマンセルの相方が本社に帰る運びとなった。
自社生花部の兄貴分で、生花部のクセに「カネが欲しいから」と葬儀社の宿直からご遺体の搬送までやる変な兄貴だった。
ソシャゲばっかして仕事のやる気はないが、やることはやりまっせという姿勢を貫き、辟易とした日々もあったが今となればその日々すら愛おしい。
問題は次の相方であった。
生花部の部長が出向の任を命じられたという。
本社の時もあんまり絡みはなかったが、齢50半ば、口が吃ってなんの言語を喋っているのか分からないオッサンだった。
「〇〇くん(僕の名前)、キレると思うけどガンバレよ、、」
不安だけを言い残し花屋の兄貴は病院を後にした。
4月、花屋の部門長は冬に見つかった糖尿の所為で痩せた姿ではあったが、のっしのっしと堂々としたふてぶてしい態度で病院へ現れた。
このレジェンド、やはり只者ではなく、この3社連合の黎明期から15年間、病院へ出向していたとんでもない人物だった。
15年の流刑ともとれる苦行のあと、本社へ戻り、花屋として10年。この道の大ベテランだったのだ。
医師免許や技師の資格もなく、ご遺体の頭を開き、脳を出し、縫合なんかをしていた(厳密には違法ではないがグレー)今じゃアウト!な時代を生きた猛者。
ペーペーの僕は知りえないが、これはまさに本人としても「王の帰還」そのものだったのである。
さらにこの春から「番頭」と呼ばれる3社連合の代表が入札によって弊社に決まっていた。
番頭の仕事はシフトの管理や備品の発注、管理、解剖の集計や請求書の発行など、言っちゃえばまあ煩わしい仕事が増える状況ではあった。
番頭になってはしまったがまさに渡りに舟、レジェンドがいるなら大丈夫だと思っていたのは時間にしておよそ10秒くらいのものだった。
「ひょうからほぉろすぃくをねぇがいします」(今日からよろしくお願いします)
相変わらずなにを喋っているのか分からないレジェンドは僕に向かって開口一番こう言った。
「シフトの休みはなんとかならひぇんの?この日を休みたいにぇんけど」
僕は目を丸くした。
シフトは大事だ。まして計6人で休日も当直も行っている体制ゆえ、常に1人は休んでいる状態で、その中でも他社との兼ね合いや司法解剖の有無で、どないかこないか連休などをかましている。
1人欠ける支障が10人、20人の組織よりはあったりするのだ。
そして春から番頭となってしまったがゆえ、その責任や管理も僕ら「2人」にあった。
1年前からの約束があるというレジェンドは病院にも戻ってきたてで、大変な心情もあろう。僕は当直を1回増やし対応することにした。
焼鳥屋の店長時代に20歳そこらの若造バイトたちによく個人LINEでこの日を休みたいと言われた日々を思い出した。
そのたびに僕は店舗のグループLINEで連絡し、代わりを見つけなさいと、どうなったのかを報告しなさいとよく言っていた。
まさか。レジェンドもそっち側なのか??
僕の皐月賞や有馬記念の馬券は当たらないくせに、「単勝 イチマツノフアン」だけはやはり的中した。
僕たちの大事な仕事のひとつに「遺族さんへの対応」がある。
扱う遺体の多くは、終末医療での覚悟の死などではなく、「今日死ぬ予定ではなかった人たち」が大半だ。
当然残された家族は茫然自失し、泣き叫ぶ人もいる。
そんな中、葬儀屋の案内をしなければならないから、精神的にはかなり「クル」業務だ。
レジェンドはその業務をかなり僕に振ってきた。
まあ、得手不得手もあるし、なにを喋っているか分からないオッサンがいくよりは僕が頑張ればいいか。
ただ、花屋の兄貴がいた頃はこんなことなかったのにな...
僕は日に日に疲弊していった。
備品の発注や買い出しもたくさんある。
レジェンドは全く手伝ってはくれなかった。
遺体の搬送も決められた役割やルールを全く守らなかった。
輪をかけて、報連相をしないものだから、動きが全く分からない。
それは他社の方々も、引くもので、「え...?」という空気は数多く病院の事務所を流れた。
苦言、注意喚起とまではいかないまでも「これは今はこうしています」と伝えると「なんか文句あんの??」と恫喝し、二言目には「昔は~」の枕詞で始まる生産性のない昔話をする。
あれ??これは。。。
僕の中に「老」と「害」2つの漢字が浮かんできた。
見るに見兼ねた花屋の兄貴が何週後かに話を聞いたげると飲みに連れて行ってくれた。
僕は時間の許す限り、レジェンドへの熱い風評被害と罵詈雑言を繰り返した。
花屋の兄貴はレジェンドの生花部創設から同じ部署で共に10年仕事をした、まさに「トリセツ」を持った人物。なにかヒントはないか、藁にもすがる思いで話をした結果、兄貴はこう言った。
「〇〇くんさ、アイツのこと人間やと思ってるやろ?ちゃうで。アイツは人間ちゃうから、明日からゴリラやと思ったらええ」
青天の霹靂。
僕は勝手に期待し、勝手に傷ついた悲劇のヒロインぶっていたのかもしれない。
とはいえ、この疲労感はなあ。
ゴリラは相変わらず、人の話を聞かず、何の言語を操っているのか分からない言葉を発し、ゴーイングマイウェイを貫いている。
それもゴリラなのでやむ無しということであろうか。
僕は出来るだけ自分の感情を取り除き、ガラス張りの評価で、ゴリラによる業務への支障をノートにびっしり書いていた。
でもそんなことはゴリラには通じない憤りも感じながら。。。
そんなある日。
貿易会社の代表で自宅は大豪邸。
三島由紀夫になりたかったのか、自刃による割腹をした後、自分の首や胸を刺しても死ねなかったので、その人は飛降を図り、頭が割れ、ようやく死ぬことができた。
そんなウルトラハードな身体が到着した。
中国本土にいる遺族の強い希望により、メスをひたすらに入れて欲しくないと。
しかしそれだと縫合だってままならず、脳みそがこんにちはしている。
さて、どう処置したものか。
困り果てていたところにゴリラが現れた。
おれに貸せと言うや否や、見たことも無い包帯術を使い、頭蓋をガーゼで貼り付け、出来るだけ止血をし、搬送できる状態へと戻した。
ドン引きなのがほぼ素手の状態である。
尊敬と侮蔑がいっぺんに押し寄せた変な感情の狭間で僕は、「頼りになるじゃないか」とおこがましいが、レジェンドであることを見直したことがあった。
先日、数ヶ月ほど前に入った弊社の生花部の若手と飲む機会があった。
関学→川崎重工のエリートのくせに「面白くなかったから」とあっさり辞め、何故か葬儀屋の花屋で働くピチピチの25歳。
少し話しただけで分かる、今風な価値観をもったTikTokな世代である。
そっちはどない?と聞いた。
「〇〇さん(レジェンド)という'足枷'が病院に行き、居なくなったことで花屋の雰囲気は劇的に良くなってます!」
明朗に彼は答えた、いや、明朗過ぎる程に。
僕のサッカー界のアイドルは同世代のリオネル・メッシだ。
戦術や理論が確立された現代で、異次元のプレーに何度も心を鷲掴みにされた。
しかしブラジルのキング、レジェンド、ペレは「あいつは凄いが、おれよりはショボい」と言う。
ペレはもう80を超える爺さんだ。
ペレのプレーを知っている人が世界にあとどれほどいるか知らないが、約半世紀前にプレーしたおじいちゃんがなんか言ってらと、その声は僕には届かない。
もしかしたら、ペレと奴は同じかもしれない。
ただ、レジェンドは、自分の葬儀屋人生を花屋で終えようと思っていたのではないか。しかし此度の任。
老体に鞭打って10年振りの当直業務をこなし、全く寝てる様子はない(その分昼間に寝る)
糖尿が発覚し、大好きなコーラを控え、昼食は枝豆みたいなものをちょぼちょぼと食べている。
もうすぐ孫が産まれるそうだ。
そりゃ、自慢やホコリくらい主張したっていいじゃないか。
明朗すぎるほど自然に、あっけらかんと、ゴリラを「足枷」と言った花屋の若手の彼に、僕は同調と賛同するのと同時に、恐怖も感じていた。
次の足枷ゴリラは僕かもしれない。
若者はいつの時代も嫌われている。
「ゆとり、さとり」と呼ばれ、挙句「Z世代」
若者もそんなオッサンたちを「老害」とディスり、Twitterの鍵垢に不満をぶつける。
分かりやすいハズの組織構造は歪な形を成しているのはどこも大体同じハズだ。
僕は若者でもないし、ベテランというほどキャリアもない。
カネなし世代の中間管理職。
ただ、上にも下にも配慮し、遠慮する為に生まれてきたわけでも働くわけでもない。
自分の中の老害チェッカーを設けて、きたる日を僕は楽しみにすることにした。
そこまで諦念思想でいられるほど令和じゃないし、利己主義でいられるほど昭和じゃないからだ。
大した成長もせず、時代ごと飛ばされた扱いのHey! Say! JUMPの残りカスとして、ゴリラや宇宙人と共に歩んでいかなければならない。
全くもってダルい。
働くって最高にめんどくさい暇潰しだね。