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うさぎのカタルシス

葬儀屋さん

デジタルシャーマンプロジェクトに寄せる泥人形とウクライナ

 

デジタルシャーマンプロジェクト概要

https://youtu.be/re9lVhQizBc

 

Abemaプライムで紹介されていたデジタルシャーマンプロジェクト。 「ルール?展」という去年東京のほうで開催されている'テクノロジーの発展に伴い、まだ未完のルールや制度を考える'という主旨の展覧会にて発表された計画のひとつで、それが「死後の労働における誓約書」であった。

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ざっくり言うと「あなたは死後、AIによって蘇生され、労働されることに同意するか」というもので、何年か前、紅白歌合戦にてAIの美空ひばりが歌を歌ったアレであり、伝説のロックバンド、ニルヴァーナカート・コバーンが「新曲」を出した件である。

 

デジタルシャーマンプロジェクトとは「新しい故人の見送り方」として注目を集めている。 動画の通り、ペッパーくんのようなものの中に故人がいて、顔もある。音声データから文章、会話を作成。故人の声色で会話が出来、身体的特徴のデータも再現。 「設定」としては「おれは死んじゃったけど、ロボットになって残された期間だけ家族や友人と過ごすことが出来るようになった。この身体は不思議な感覚だぜ」というもの。

亡くなってから49日間、残された方々と生活を送ることができ、49日目、プログラムは終了し、「本当に」?この世からいなくなる。 新しい弔いの形を提案し、遺族の心の整理を手伝う。 これがデジタルシャーマンプロジェクトの概要である。

 

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僕はこの問題について是非どちらの立場でもないというスタンスだが、とても面白い試みであると考えている。 シジュークニチや中陰の祭壇の常識が覆るかもしれないのだ。 死後自分たちの肖像権やデータが使われ続けることを労働と受け取った場合そのことについて自分がどう思うか、現在では意思表明する場が無い。

 

生きているうちに自分の死後がどう扱われるか考える時代がくるかもしれない。

 

今は美空ひばり夏目漱石など偉人たちのロボットによる「復活」にとどまっているが、それが一般人までに普及するのはテクノロジーとして遠くはない。

 

しかし要は既存のデータや写真を使って、「それっぽいナニカ」を赤の他人が作っただけの話。復活や蘇りという表現は間違いという主張もある。

 

故人復活の課題やメリットとしてまとめると

 

①第三者から見る故人の記憶が、人間の長所である時間による忘却の過程が得られない=死を認知できないことに繋がる可能性があること。故人に依存してしまう可能性もあり、テクノロジーの発展と共に死の再定義が必要。プログラム上のデータを消去しない限りは「生き続ける」「不死」のような存在になる。

 

②個人的記憶は周囲の人が亡くなることで消えるが、社会的な記憶は生前と変わらない姿で保存される→例えば会ったこともない癖に文句を言うのは偲びないが、一般論において太宰治は素晴らしい文豪であるが、すぐ女性と色恋の末、無理心中するメンヘラである。このメンヘラな部分は当事者たちしか知り得ないことであるが、文豪としての側面の太宰治は誰がどう見ても素晴らしいからパーソナリティの良い部分だけを切り取って社会的に保存しましょうねというものであり、その是非。

 

デジタルシャーマンプロジェクトにおける「49日縛り」はよく出来たもので、それ以上は遺族たちが困惑、錯乱、あるいはいつもどおり日々を、通常運転して「しまう」からなのか。製作者の計らいを感じる。

 

大阪大学大学院基礎工学研究科教授 石黒浩先生は「これから人との関わりを強く持っていくAIが登場してくる。みな、写真であったり、音声や映像、あるいは亡くなった人の言葉なんかをそれぞれ気に入った部分を持って生きる。」と仰っている。

 

意訳すれば、故人さんとの思い出の写真やビデオテープ、iPhoneがAIに成り代わってもなんら不思議じゃないということだ。 例えばアレクサが進化して、それに十分な知能を感じる人は急にアレクサが動かなくなった場合、アレクサが死んだと認識するやもしれないとも。

 

ここで僕はある哲学における思考実験を思い出した。

 

それが今日の本題。

 

「スワンプマンの思考実験」である。

 

【ある男がハイキングに出かけて、沼の傍で雷に打たれて死んだ。 その時、奇跡が起こり、雷が化学反応を起こして沼の泥から死んだ男と全く同じ見た目で、同じ記憶をもつ存在が生まれた。

 

この存在こそスワンプマン(泥男) スワンプマンは脳や心の状態も死んだ男と変わらないので、記憶や知識、感性も全く同じ。 趣味嗜好や癖、体質まで、スワンプマンと死んだ男と違うところは何一つない。 スワンプマンは死んだ男と同じ自我と記憶を持っているため、自分は奇跡的に生きていたと認識し、死んだ男と同じようにハイキングの続きをし、帰宅後、家族と食事をして、翌朝会社に出かけ、コーヒーを飲む。 スワンプマンが入れ替わって生活していても、周囲にもバレず、スワンプマンすらも自分が泥から生まれたことに気が付いていない】

 

ここで問題。

 

『このスワンプマン(泥男)は果たして死んだ男と同一人物か否か』

 

スワンプマンと死んだ男が別の人間だというのなら、何がどう違うのか、説明できるか。

 

というものが、所謂「スワンプマンの思考実験」だ。

 

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哲学好きにはたまらない、自我を問うもので、思考実験である為、当然正解などはない。

僕は親しくなった人たちに、酔っ払うとよくこのテの話をしてしまう(めんどくさい)

 

違う人物だと言う人たちの意見を一言でまとめるならば、観念論。そこで、自分は終わったのだから、自分のクローンのような泥人形がいてもそれは自分ではない。まあ、わかる。 そう答えた人は僕の統計上、女性が多かった。

 

同一人物だと言う人は、簡単に言うと物理主義である。他者から見ても自分。臓器も脳も、記憶も同じならば、それは自分自身であることに疑いの余地はない。まあ、わかる。 こう答えたのは男性が多かったように思う。

 

分かりやすく言うと「どこでもドア」はその最たる例で、あれが分子を分解、転送して物質を再構築するマシーンとした前提の上で、今まさに扉を開けんとするのび太くんと、しずかちゃん家の風呂に出てきた扉を開けた後のラッキースケベのび太くんは、果たして同一人物と言えるのかどうか。

 

突き詰めて難しく言うと、時間の連続性の有無か、空間の分断による差異かというところだ。

 

 

ならば「自我」とは?「死」とは??

 

問題はそこである。

 

僕はこの問にまだ答えを出せていないし、きっと一生出す気もなく楽しむだけである。

まさにデジタルシャーマンプロジェクトも同じだと感じた次第であった。

 

僕は今、葬儀社として大学病院に出向しており、解剖室で日夜、身元不明の腐った遺体や海に浮かんで流れ着いたブヨブヨの死体と向き合っている。

 

今日は飛降自殺で顔面が餅のように横に拡がった、お身体があった。頭はかち割れてて、脳みそがこんにちはしている。

 

ウクライナでたくさんの人が死んでるらしい。 冷たいことのように聞こえるかもしれないが、近しい人以外の死など大多数にとっては無関心だ。

 

だからといって戦争や暴力を許容できるわけがない。

 

21世紀初めての大きな戦争で、こんなてくのろじっくな世界で、20世紀よりも多くの情報がテレビやYouTubeTwitterに出ることだろう。

 

ただ、線引きは自分自身で行うべきで、真偽の審議はリテラシーをもって臨むほうが賢明である。

 

いつもひとつの真実は、たくさんの人が死ぬことだ。

じっちゃんの名にかけて。

 

僕は、当事者もしくは当事者意識のない、著名人やインフルエンサーの人が投稿するような此度の発言等については些か冷ややかな目で見ている。

 

綺麗事のような文言は死体の山を見て言ってほしい。

 

僕にはそれを言う権利は少しばかりはあるかもしれない。

きっと無惨な死体を見たら、1人の人間がどうこうするなんてできず、立ち尽くしてなにも言えることなんかない。それこそ手を合わすことくらいしかできないからだ。

 

或いはその人には親がいて、家族がいる。 恋人や子供がいるかもしれない。

そして殺されるくらいなら殺さなくちゃいけないかもしれない。

それのみは真。

 

職業選択や宗教、言論の自由のもと、死をなるだけ隣りに置いて、僕達は僕達の戦争をしなきゃいけない。

 

自我なんてものを考えられるだけラッキーだ。

 

「がんばれウクライナ」的なクソサブいコピーやリツイート陰謀論なんかどうでもいいし、プーチンの真の思惑なんかクソほどどうでもいい。

 

ましてゲリラ戦の様相を呈し、多くの市民が巻き込まれませんように。

我が青春、当時ACミランで活躍したサッカー界のレジェンド、「ウクライナの矢」と呼ばれたアンドリュー·シェフチェンコや若かりし時分によく見てた「ロシア人 エロ画像」の北国のワガママボディのドべっぴんたち。

彼らをなくす権利は誰にもない。

 

命は尊いって意味、最近やっと分かったよ。

てぇてぇ。