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うさぎのカタルシス

葬儀屋さん

ロザリア ロンバルドよ、聞こえるか。

 

2か月ほど前に「ミイラ展」なるものに行ってきた。

妻に興味あるんじゃない?と言われ神戸市立博物館へ赴いた。


博物館には春休みの大学生のグループを始め、僕らファミリー層以外にも課外授業の一環として来館したであろう中高生などで賑わいを見せていた。


5体のミイラが展示されており、性別や年齢も様々、各時代におけるミイラ作りの進化の変遷を堪能できる内容で、棺や麻に包まれたミイラは、最新の3Dスキャナーでモニターに全容を立体的に再現し、ミイラだけにミライな展示方法には舌を巻く迫力があった。


妻を始め、来場者がしげしげとミイラを眺め、抱っこ紐で吊るされた息子が深い呼吸で寝始めた頃、きっとそうであろう、その中で僕だけはなんとも納得できないモヤモヤした想いをひとり抱えていた。


僕は休日以外、仕事でほぼ毎日ミイラの相手をしてる。


展示されている鎌のような鍬のようなでっかい耳かきみたいな道具やらで、遺体を処置し、ミイラとして保存したのなら、それはまじで神業レベルの話であり、その所業の偉大さ、ガチでそれを使いミイラを作ることを頭の中でシュミレートしている人間は僕1人だけだと感じた。

冷静に考えれば、それはそうだろう。


「こいつら(来場者の方々)はあんだけ興味ありげに見る癖に、本気でやることを考えていない」と謎のマウントとプライドが発動し、妻を困惑させたのは申し訳なかった。

だからどうしたという話だ。


なにせミイラ作りはロストテクノロジー

失われた技術そのままで。まして現代の日本の令和において、恣意的にミイラとして処置された人はいない。

では僕はミイラの相手をしていないじゃないか?

のんのんのん。僕が相手にするミイラは偶発的に、奇跡の自然現象でミイラ化したホトケさんに過ぎない。


一般的に孤独死と呼ばれるものや、海から流れ着いたものまで、その種類は幅広い。

 


なんのソシャゲかRPGか、〇〇葬という名前には全部エレメント属性がある。

みなさんがよくご存知の火葬や土葬(埋葬)をはじめ海洋等にご遺体を流す「水葬」(戦争や天災などに適用される場合が多い)や、近年流行に火がつき出してる「樹木葬」(樹木を墓標とする場所も費用もコンパクトな永代供養)といったまるでNARUTOの世界観。


それと合わせて、何百年前の日本には「風葬」という弔い方もあった。

風属性までついて、聞こえはカッコいいこの風葬だが、「自然に還す」という意味がある。

いわばまあ、その正体はNOZARASHIそのものだ。


その中でも極稀に、ウジが湧くことなく、お魚さんに食べられてもいない、腐敗を免れた遺体というものは存在する。

それがいわば現代にも見られるミイラ化現象で、それは「永久死体」と呼ばれている。

ぜったいれいど」くらいカッコいい響きだ。


世界一有名で美しいとされるミイラはイタリアはパレルモのとある納骨堂にある。


ロザリア ロンバルド(享年2歳)のミイラだ。

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これは絵でもなく、写真であるから驚きである。

 

幼くして亡くなった彼女の死を、悲しんだ将軍のパッパは、遺体保存専門家であり医師として高名なアルフレード サラフィアに防腐処置を依頼した。

彼は現在で言うところのエンバーミング技術(切開しホルマリン等の保存液を注入、老廃物の吸引、洗浄、縫合、修復)に近いものを独自に開発し、ロザリアに実践。


眠っているだけのような、完璧なまでのミイラが完成した。

 


父親は当初、毎日のように納骨堂を訪れたが、決して変わることのない娘の姿に深い悲しみを覚え、やがて彼女の元を訪れることはなかった。

 


というのは皮肉で切ない話。

 


彼女の死から100年以上。驚くべきことに彼女はまだこの姿のままイタリアの地下で眠っている。

 


そんな中、先日病院にも永久死体のご遺体が来た。

 

海上保安庁が「レアモンです」とまるでカードショップの店員みたいなことを言ったが、それはまさに今までに見たことのないご遺体の状態だった。


海を漂っていたその遺体は、見た目からは死亡時期も分からない。

いや、もっと言えば、「ヒト」なのかも分からない状態だったのだ。

彫刻のような、粘土のような、ヨーグルトのようなゼラチンが骨の周りを覆っている。

身体中にクリームを塗りつけたような状態だ。

そしてなんたる異臭。

 


調べて分かったのだが、これは永久死体の一種、「死蝋化(しろうか)」と呼ばれるものであった。

 


ミイラと呼ばれるものは、永久死体の中のひとつであり、今回僕が見たのはその永久死体の派生系にあたる死蝋化というものらしい。

そんな急にゴムゴムの実が動物系悪魔の実の幻獣種モデルニカでしたとか言われても全くもって困る。

 


その遺体は奇跡的な自然環境のもと(深海ほどで光が差し込まない、水温がかなり低い等の条件)魚にも食べられることなく、陸に上がることが出来たのだ。しかし、1度陸に上がってしまえば、その遺体は防腐処置等を行っているわけはなく、急速に腐敗が始まっていた。

それが異臭の正体。

 


知床の遊覧船の事故に思いを馳せる。

海保は今頃クソ忙しいだろうなあとか、この遺体は「おそらく」観光船の乗客で、「おそらく」成人男性という報道でも、ホトケさんの状態はかなり悪いだろうということがヒリヒリと伝わる。

 


責任の所在や事故原因、安全管理の問題は様々あるだろうが、なによりも今は引き上がってくるご遺体に手を合わすくらいしか僕としてはない。

 


同郷の佐賀県からも2人のおっちゃんが引き上げられた。

1人のおっちゃんは沈む船の中で、奥さんに電話をしたらしい。

 


「沈没しよるけん、今までありがとうね」

 

とだけ。


この報道を目にした時、頭で完璧な佐賀弁が再生され涙が出そうになった。

 


戦争によるプロパガンダに敏感となった我が国は、この事故によって遺族のパーソナルな部分の報道の必要性についても議論が起きている。が。

必要性云々、人としてなにを思うか感じるかである。

要らない情報はインプットしなければ良い。

例えば家族が出来て、子どもが亡くなる事件に深い悲しみを抱く価値観の変化はまさにそう。

自分ならどうしただろう、なにが出来るだろうと考えることに本質があると僕は思う。

メディアの煽情だと宣う奴らはどうも土俵の外からの話ばかりであまり仲良くなれる気はしない。

冷静さは必要だと思うけどね。

 


そういう意味じゃ、死を常に傍らに置いて、最期にありがとうと言えた同郷のおっちゃんを僕は誇りに思うし、幸せ者だとも思う。決して美談にする気はさらさらないが、「ありがとう」を言えて死ねた人はかなり少ないからだ。

なにより死の淵でこの言葉自体はまぐれで出たものでなく、このおっちゃんの人柄そのものの投影に過ぎない。

 


死体のことを怖いと思ったことはない。

「こりゃひでぇな」「えぐー」とかは思うが、特に僕自身は至って「無」だ。

どんな遺体にも「おつかれさま」と思いながらこの仕事に臨んでいる。

遺体は喋らないし動かないので、お礼も謝罪も残された家族や恋人には言ってくれない。

尚更、自分の生にスポットを当てられた気分になるわけだ。

 


僕からすりゃ、先の観光船の会社社長のちんぷんかんぷんなアタマの弱そうな会見内容を批判するよりも、今日、自分の大切な人に「ありがとう」が言えるかどうかである。

この言葉は特大ブーメランとして自分の脳天に突き刺さるのがより一層、難儀を極める。

 


世界一美しいミイラ、ロザリア ロンバルドはこの先もその可愛さを封じ込めたまま、イタリアの地で眠ることだろう。

しかし彼女が生前、ありがとうと言って亡くなったかは分からない。

僕らはきっと美しくもないただの骨だけになるかもしれないし、水死体で性別不明の不詳遺体になるかもしれない。

ならせめて最期や在りし時くらいはロザリアちゃんばりに中身くらい美しくさせてほしいものだ。

それは教科書にないノンテンプレートな自己評価で構わないと思う。

というかそっちくらいにしか主体的に価値はないとさえ思う。

 


ただやはり心配なのは、僕がもし此度の観光船の乗客だったとして、沈みゆく中、死にゆく淵、妻に電話をし、「ありがとう、愛してる」とでも伝えたとでもしよう。

すると妻が「は?wwなんなんきっしょ」という類の返しになるだろうことが容易に想像がついてしまう。

 


「お、おいおい〜そりゃないで〜」など言いながら死んでなるものか。

 


それだけは杞憂であることを祈っている。