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うさぎのカタルシス

葬儀屋さん

焼鳥屋が葬儀屋になる話~中編~

前編→https://cellar-door.hatenablog.com/entry/2021/03/12/142202

 

ある日、いつも通り事務所で仕事をしている時だった。

焼鳥屋の社長からこんな話を持ちかけられた。


「〇〇(僕の名前)が以前働いていた店舗のさ、元アルバイトたちで仕事を探してる子いたりする??」


僕は目を丸くして、しばらく沈黙の後、こう答えた。


「厳密にはいません。そんなに連絡も頻繁にはとりませんし。

なにより仕事ができ、信用に足る元アルバイトたちは普通に企業や会社で働いて忙しい奴がほとんどなので。

仕事を探している奴がいるとすれば、あんまり当時から僕ともうまくいかず、仲良くなかった奴で誰でもいいということであれば、気乗りするもんじゃないですが、ご紹介はできますが...」


「ところでなんで突然そのようなことを?」


社長が少し沈黙した後、「いや、実はな....」と切り出した。歯にものが挟まったような口ぶりだったことは覚えている。


僕は焼鳥15年選手。

以前から神戸の数店舗の管理を任されていた。

社長は出店にしても、1日の営業ひとつ切り取っても「地域」にこだわりを持ってる方だ。


なにより全国チェーンで中規模に展開する弊社においては、神戸はその発祥の地。

地域貢献。そのお店がその場所でお客さんに必要とされることは我がグループにおいて重要なテーマなのである。


その流れから僕は数年前から神戸の地において、屋台事業をしていた。

初めは社長がこの話を持ってきた。

兵庫県の片隅の地元密着のパチンコ屋で焼鳥の屋台を出店した。


大した利益もなく、搬入と搬出には多大なる労力を要し、炎天下だろうと雨天だろうと決行される屋台事業に当初僕は嫌気がさしていたが、屋台に焼鳥を買いにくるお客さんたちとの非日常的な距離感の近さや、笑顔。

子供たちやご父兄様方、なにより地域の方々の喜びように、僕はやりがいや、その事業の有り難さを徐々に痛感していった。


屋台事業で僕は大なり小なり様々なイベントや現場にお邪魔させて頂いた。

ヴィッセル神戸の屋台ブースや、新居マンションのオープニングセレモニー、バイト時代の先輩からのツテである訳の分からんアフリカンダンスフェスに至るまで。

そのイベント内容は多岐に渡った。

アフリカンダンスフェスなんかはガタイMAXの黒人のお兄さんたちが、ドンキーコングのサントラのような太鼓の演奏と伴に踊り狂うもので、屋台の帰り道、黒人3人に「Hey、お前はハッパ持ってるかい??あったらくれよ」というジェスチャーをされ、恐怖のあまりソニックで帰宅したことを覚えている。


そんな中、数年前屋台を出店することとなったのが、葬儀屋さんのイベントだった。

社長とも親交のあった葬儀社の館長からの打診であったこともあり、話をお受けするに至ったが、僕は懐疑的な想いを抱いていた。

社長直々に、葬儀屋で屋台を出してくれと言われても


「え?なんで葬儀屋が?そんなハッピーなお祭りなんすか??んーまあいいですけど」

 

(....葬儀屋か...。)

 

僕は心の内で、当時を思い出していた。


二つ返事でしたOKが僕の運命を変えるきっかけになるやもしれなかった。


葬儀屋さんといえど、客商売である。

そういった意味では焼鳥屋と根幹は同じだ。

しかし、圧倒的に違うことがある。


販促にしろ、ネットにしろ

クーポン情報にしろ

要は堂々と「へい、らっしゃい!」が言える業種ではないのだ。


飲食店においての課題は主に「ヒト、モノ、カネ」のいずれかだ。

ヒトがいなければ、張り紙をするなり、広告をうつなりの対策が必要で、リクルートなりLINE@等その他代理店に相談すればよい。


こういったご時世なので参考程度ではあるが、単に「お客さんがこない」という問題は

「客数」が足りないのか

「客単価」が足りないのか

はたまた「来店頻度(リピート率)」の問題かで解決策はそれぞれ違う。

店舗という存在を細分化すれば、課題→解決策は案外バラバラのピースで形成されている場合が多いのだ。


しかし、葬儀屋においては商圏等のデータも存在し、応じた分析もできるが、人様の死にかこつけた営業活動と見られた場合、そのブランド自体に傷がつくという、なんともデリケートな性質をはらんでいる。


ある日、自分の家の隣に葬儀社の会館が建造された場合、不快な気分になられる方が多少なりとも存在し得るということだ。


なので、地域の中で葬儀社がお祭りを催し、子供たちに風船を配って、焼きそばやくじ引き抽選会、ローカルタレントを呼んでのトークライブ。

これは特殊ともいえる業種を考えるに、数少ない営業活動、地域貢献の立派な一種であった。


そんな事情など露知らず僕はノーテンキにいつも通り屋台道具を搬入し、備長炭に火を入れた。


社長が訪れると、親交があるといわれたさぞ偉いであろうおじさんを紹介され、愛想笑いで本日はよろしくお願いしますと礼をした。

おじさんは葬儀屋に似つかわしくないにっこりとした笑顔を浮かべ

「君が〇〇くんか!今日はよろしく!ところで、君釣りとか好き?!今鳴門辺りで鯛がよく釣れるねん。よければ今度一緒に行かへんか?」


エンカウントしたのはとんでもない陽キャだった。

ほんとうに葬儀屋さんなんだろうかこの人は。


「はは、えぇ是非に〜(^-^)(はいはい社交辞令大事)」


「いや、だからいつ空いてるん?何曜日?連絡先も教えてよ」


(ええ。まさか本気かよ)「わ、分かりました〜」


「ありがとう!じゃまたLINEさしてもらうわ〜」


とんでもない出会いだったが、人生で初めて出会った葬儀屋さんであった。

その後そのおじさんと僕はこのイベントの次の週、早朝5時に淡路島で落ち合い、船に乗り海へ出ることとなった。

なんという曲がり角の先の陽キャであろうか。

巻き込み事故も甚だしい。


イベント自体の話に戻ろう。

いつも出店しているイベントよりは幾分小規模なものだが、残暑のせいか少し暑い以外は特になにも問題はなかった。

葬儀屋のイベントと聞くとネガティブなイメージが先行するかもしれないが、なかなかどうして親子連れやおじいちゃんおばあちゃんを中心に客足は絶えず、葬儀会館1棟まるまる使ったお祭りはハタから見ても成功のようだった。


僕は周りにいるスタッフの方々(おそらくはみな葬儀社の従業員の方々)に焼きそばやジュースを、まるで実孫かの如く大量に差し入れして頂いた。こんなに食えるかというほどだった。

葬儀屋さんと聞くと物静かで、無口な人が多いとばかり勝手に考えていたが、先刻のおじさんを含め、なんとも明るくて笑顔の多いスタッフの方々ばかりだった。


この人たちはきっと毎日のように「死」を見ている。

その反動なのか、失礼な言い方だと愚鈍になってしまったのか。

葬儀屋と言わなければ分からない、普通に気のいいおじさんやお姉さんばかりがそこにいた。


タバコを吸いたければバックヤードで好きに吸っていいからねーと僕に3本目の綾鷹を持ってきてくれたお姉さんに案内され、辿り着いた喫煙所の灰皿は、ルパン三世でしか見たことのない、今までここに次元大介がいたのかと言うほどに吸い殻が膨れ上がり、この近所にある六甲山の標高に届きそうなほど積み上がっていた。


僕はその瞬間、急に、無性に、強烈に「生」を実感した。

 


それから幾度かその葬儀社のイベントにお邪魔させて頂いたが、僕はその後、神戸の管理の任から解かれ、名古屋や滋賀県への転勤もあり、葬儀屋さんとは疎遠となっていた。

しかしそれでも2020年の秋口、人生で3度目の神戸へ戻ることとなった。


コロナ禍においては滋賀県において、テイクアウトやデリバリー、営業活動や商品開発に力を注ぎ、田舎で伸び伸びと仕事をさせてもらっていたが、まさかここまで神戸三宮の飲食界隈が破滅しているとは。

これはどげんかせんといかん。

事務所勤めとなり、商品開発や業態開発にアビリティを全振りしているところだった。

 


先の元アルバイトというか仕事探している子はいないかという話を社長に振られたのだ。


「なぜですか?」

 


僕は尋ねた。

 


「いや実はさ、おまえも知ってるやろ、葬儀社の〇〇さん、釣り好きの。」


「はい」


「あの人が葬儀社の未来の幹部候補として、人を探してて。直々に名指しされてるんよ、おまえが。今どうしてるかって」


「は、はあ..」


「いや、おまえがバイトやと思われてたみたいでな、ウチの幹部なんですって話をしたら、ごめんこの話はなかったことにしてくれと言われたんや」


「.....。社長、昔から実は僕、興味はあったんです」


「え?」

 


僕は滔々と昔から抱えていた死生観や、夢を吐露した。

社長は最初だけ驚いた様子だったが、すぐさま僕のパトスに反応してくれて、真剣な面持ちで僕の話を聞いてくれた。


「いや、でもなくなった話なら!全然!聞き流してください!僕にはやらなければならないことがあるんですからね!」


僕は矢継ぎ早に話を締めた。

 

気恥しさ20%、気にしてほしくないという気持ち15%、スーパーの特売に間に合わない焦燥が65%で構成されていた。

 

 

後編→https://cellar-door.hatenablog.com/entry/2021/04/11/012941