焼鳥屋が葬儀屋になる話~前編~
15年ほど前、大学生の時にバイトしてた焼き鳥屋の大将(偉大なるベスト・オブ・ビッグボス)がよくこんな話を僕にしてきていた。
大将の話はhttps://cellar-door.hatenablog.com/entry/2020/07/11/163417を参照。
「おれが今からおまえに100万やるとする。そしたら、おまえはそれを3ヶ月でいくらにできる??」
大将はよくこんな話をアルバイトに持ちかける変わった人だった。
分け隔てなく人を見て、少年のように屈託のない眼差しと笑みを浮かべながら。
とはいえその空気は緊張感をも併せもち、僕がなんと答えるかを精査し、見極める。己が審美眼を持ってして。というその心の内が聞こえてくるかのようだった。
穏やかな昼下がりの仕込みの時間。
神戸市の片隅の小さな焼鳥屋をピンと張り詰めた静寂が包んでいた。
そんな空気感にたじろいだ僕は思わずこう答えた。
「パ、パチンコでもいいんですか...?」
パチンコなんか当時の僕は打ったこともなかったが、そう答えた。
「それでもえぇで」
大将は答えたが、明らかに「そうじゃない」顔をしていた。
求めている答えとは違うような「ガッカリ感」さえ漂った。
答えるしかないのか。。。
僕のしょうもない夢と「したいこと」
「大将、YouTubeって知ってますか?」
「知らん、なんやそれ」
「動画投稿サイトです。ニコニコ動画ってのもあって、今はバカみたいな動画ばかりですけど、絶対流行ります」
「ほんで、なにすんねや?」
「そこで英会話の授業をします。引きこもりでも家にいながらでもみんなが英語を学べるようなります」
「それはどうやって金になるんや?ボランティアか?自己満か?」
「それは.....」
僕は応えられなかった。
敢えて言うが、15年以上前の会話である。
世間の人たちはまだYouTubeさえ知らない時代で、ユーチューバーなんて言葉さえなかった。
未来にあたる現在僕がタイムトラベルできるものなら、企業広告やアフィリエイト、マネタイズの仕方を当時のアホな僕に滔々と説明教示するところだが、タイムマシンは2021年でも開発誕生はしていない。全く歯痒いばかりだ。
僕はそれから悔しくて、隙あらば「100万を増やすにはどうしたらいいか」を考える癖ができた。
まず、考えついたのはコーヒーのスプーンであった。
プラ製のスプーンのなかにフレッシュやシロップを入れるだけのものだ。
今あるフレッシュがそのまま持ち手があり、スプーンになったものと考えてもらって構わない。
しゃもじにツブツブをつけるだけで一攫千金できる時代だ。(何度も言うが15年前の話です)
なによりコーヒーを飲む時あのゴミは鬱陶しい。
そのままスプーンに出来たらエコだし、解決じゃないか。
そんなことを本気で考えて温めて、コストは幾らかを計算している最中に、当時付き合っていた彼女からはこう言われた。
「でもそれってシロップ入れる量を調節できなくない?私、全部入れたことないわよ。なによりあなた、ブラック派じゃない?笑」
「....!!!?」
青天の霹靂だった。
まさか、まさかそんな....。
こんなことで完璧だと思われた僕の計画は瓦解した。欠点だらけの計画に情けなさを感じざるを得ない。
こんなんじゃだめだ。
金を稼ぐには必要不可欠な仕事でないとならない。且つ人の為になり、自分が楽しくやれて納得できるもの。
理想は高かったが、それが最低ライン。
それ以外はやる意味がないと考えた。
当時、30~40代には懐かしのmixiというSNSや2chで僕は多くのコミュニティに属しており、そのどれも頻繁にスレッドを立てていた。
その多くは哲学板やパラドックス、宗教論、宇宙、科学、果ては喪女板にいたるまで多くの意見討論を深夜までどっかの誰かと交わしていた。
僕は哲学が大好きであった。
「哲学」というと難しく聞こえるが、簡単に言うと、「ロックか、ロックじゃないか」
ローランドよろしく俺か俺以外かのただの価値観バトルの果てにある、自己満足前提の死生観そのものの灯火である。
サッカーが好き。特にこの選手の目立ちはしないが、囮となってDFを引っ掻き回すあのプレイがたまらない。
アイルランドのあのバンドが渋い。エンヤ的な前奏からの後半につれ大ロックアンサンブルとなる展開は感動する。
これらは立派な哲学であり、主観的に根拠があって証明されているものだ。
僕は考えた。
「そうだ、葬儀屋になろう」
京都に行くノリで閃いた無知なガキの発想だった。
だって人は死ぬし、なんならこれからどんどん死ぬらしいじゃないか。
葬儀の価格なんて知らんがとんでもない高単価なのは雰囲気で分かる。
なにより、人の為になることが見えやすく、僕が大好きな死生観と向き合う時間など途方にあるだろう。
早速調べると、当時から葬儀そのものはこれから簡素化されていき、これから先はますますデフレ戦争が加速するだろう。
外資も次々と進出しており新しい葬儀の形を模索し続けられていると怪しげな葬儀プランナーなるおっさんのホームページを拝見するに至った。
なんだ。葬儀業界も厳しいのか。
当時飲食業界においては大手による飲み放題食べ放題等のデフレ戦争真っ只中。
飲み放題1500円その次は1000円かと思えば次は800円というような。
都会を中心にそんな居酒屋の看板を見ることに枚挙に遑がなかった。
そもそも高齢社会だからといって、葬儀屋になるなんて安直にも程がある発想だ。これじゃだめだ。いちばんにはなれない。
しかし、「死」そのものを仕事にするということへの興味は尽きなかった僕はこう考えていた。
待てよ、昔から言うじゃないか。
「風が吹けば桶屋が儲かる」あれは確か、、風が吹く→ムスカが増える→流しのミュージシャンになって→ニャンニャン虐殺→ジェリーが増大→オケ死す
という流れだったはずだ。
そうか。葬儀屋が儲かった先に誰が得をするか考えればいい。そこに目をつけたやつはまだなかなかいないはずだ。
「そうだ、葬儀屋専門の花屋になろう」
花好きだし。
今度こそ完璧だ。また京都に行こう的な発想だがそれがどうした。
よし、花屋さんになるにはどうしたらいいか考えてみよう。
それから数日後、バスと電車を乗り継いで、神戸三宮のジュンク堂書店で、花屋さんの専門書やらフラワーアレジメントやらの本を数冊を買い漁った。
花屋になる気満々のウキウキボーイがそれを読みふけっていると、当時付き合っていた彼女が現実的な話をする時に向ける冷たい視線を彼に向けた。
「あのさ、そもそもやねんけど、葬儀屋さんと花屋さんはとっくに提携してるでしょ」
「.....。なん…だと…!?」
脳内のほうがお花畑だったウキウキボーイがそこにはいた。
残念ながら正真正銘の僕そのものであった。
調べてみると、彼女の言う通り、葬儀屋さんと葬儀で使われる花屋さんはとっくに提携しているものがほとんどであった。
「ゆちゃく」ってやつか。おとなってほんまクソやな。
僕はその後、葬儀業界について調べることはなくなっていた。
焼鳥屋という飲食業界の楽しさや、華やかさ。
人と人との出会いや繋がりに夢中になっていったからだ。
なにより、哲学をもってして生きるということに場所など関係ないと考えた。
哲学者が焼鳥を焼いてなにがいけない。
机上の空論であーだこーだ考えるより、肌で生きることを体感することは、なにより自分の哲学を洗練することに繋がるはずと信じた。
それから15年以上。
月日は流れた。
神戸の片隅で、焼鳥屋のアルバイトをしてたクソガキはあらゆる体感を経験していた。
主に各地への出店、オープニングスタッフとしての立ち上げ部隊に属し、家を引越した回数は数えられないほどになっていた。
人との出会い別れを幾度も繰り返し、嫌という程の酸いも甘いも、成功も失敗も、そして数多の大失敗を重ねたのち、僕は小規模なグループながらも、少しだけ発言力を持てるようになっていた。
コロナ禍でも闘えるモデル店舗を作る。
去年の秋頃、僕に与えられたミッションであった。
そんな中、それは突然でてきた話であった。
僕は葬儀屋として、背広を羽織り、社章をつけ、ご遺体をご安置し、最後のお風呂に入れ、お化粧とお着付けをし納棺するという仕事をすることになったのだ。
初の後編へ続く。。。
※追記、後編予定作は中編となりました。
中編→https://cellar-door.hatenablog.com/entry/2021/03/19/022713