アシタカってそういう人
一生に一度は映画館でジブリを。
もののけ姫を観てきた。
サブスクの配信を一切行っていないのがジブリのブランディング力であろうか。
初めて観たのは小学生の齢。
まだイオンが「ジャスコ」と呼ばれていた時代だった。何度か金曜ロードショーでやってたのも覚えている。10代の頃視聴したきりってとこだ。
映画館の雰囲気も久しぶりに味わいたく、ひとりレイトショーはなにか自分をオトナな気分にさせるもので気分が高揚する。
しかしそんなオトナである33歳は開始10分で号泣する羽目になった。
あれ?こんなに泣ける映画であっただろうか?
昔は「アシタカ△」「黙れ小僧草www」なんて感想を抱いていたのが嘘かのように、中年への階段を登っている僕にとっては、モロや乙事主の苦悩やエボシの心情。果てはアシタカが住む村の占い婆さんにまで大人の欺瞞と言い知れぬ事情を汲むに憚らない。
オタクの神、オタキングこと岡田斗司夫さんの考察も交えて伝えたいと思う。
衝撃①
犬神モロと猪神乙事主は元恋人同士
考察もクソもない。
もののけ姫のドキュメンタリーにおいて語られる作中で触れられることのなかった設定のひとつだ。
モロのCVはお馴染み美輪明宏さん。
散々男子が真似をするあのセリフだ。
「乙事主か少しは話の分かるやつが来た」
この演技をしている最中の映像がある。
なかなかOKサインを出さないパヤオ監督。
美輪さんの元へ向かい「この2人、実は昔は"いい関係"だったんですよ」と説明。
美輪さんは「えぇ!狼と猪がぁ?!」と驚きながらも、テイクを重ねるにつれその犬神の声が艶っぽく色気を増していくのだ。
祟り神と化し、ダメになっていく元カレを思いつつも、なによりこんな人(猪)に恋をした自分自身を憐れむかのような演技は、なんとも感嘆するに禁じえない。
こんな公式資料にも載っていない設定を表沙汰にしないのがジブリアニメの真骨頂である。
衝撃②
アシタカはサンと濃厚接触済
はっきり言おう。アシタカはサンと関係を持っていた。
信じられなかった。しかも作中でだ。
まず前述の通り、宮崎駿という監督、アニメーターは描く必要がないものを描かないという人間である。
スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫氏がラジオで暴露したのだ。
犬神モロの拠点でアシタカとサンが起きるシーン
当時絵コンテを見た鈴木氏はピーンときて宮崎駿監督に質問した。
「このふたり、アレしてますよね!?」
いつも否定も肯定も必ずする宮崎監督がダンマリしたのだ。
さらに問い詰めると
「そんなもん見れば分かるでしょう!」と恥ずかしそうに声を荒らげた有名なエピソードがある。
アシタカさん...パねぇ。。
しかし衝撃はさらに続く。
衝撃③
アシタカはカヤともヤっていた
カヤについてタイトルコールの「もののけ姫」とスクリーンいっぱいに荘厳な音楽と共に映しだされる画がある。
おお、いよいよ始まるのか!と騙されてはいけない。
ここで注目すべきは後ろの模様にある。
なんの模様か、しかし見覚えがある。
そう。これは縄文土器に描かれた模様。
「もののけ姫」のタイトルは当初「アシタカ聶記(せっき)」アシタカ伝説となるはずが、プロデューサーのゴリ押しにより「もののけ姫」というタイトルで上映されることになったそうな。
もののけ姫の舞台は室町時代。そもそも縄文文化なぞ残ってはいないはず。だが、彼らは大和朝廷に追いやられたと台詞を吐き、いまでいう東北の村で生活をし、鉄も髷を切る程度のものしかなく、青銅文化が色濃く残る縄文人の生き残りのような存在だ。
事実、ヒイ様という国の呪術師的な社には御神体も縄文土器も残っている。
↑の画像のタイトルコールの模様、あれはこれから起きるアシタカが起こした伝説が伝聞し、アシタカの子孫によってあの村で作られたもので、宮崎駿監督のささやかな抵抗である。
「これはアシタカの物語」だと主張しているのだ。
何故かというと、あの模様をなぞると1つ目の化け物のような形になるのが分かる。
シシガミ(デイダラボッチ)のフォルムに、1つ目。
当時は鉄を作るのに膨大な木と火が必要であった。鉄鋼部や採掘師は必ずと言っていいほど、片目を失ったそうである。同時に1つ目の化け物は日本各地で伝承がある。
しかしその伝承の近くには大概鉄を打つ施設や場所があったそうな。
そう、タタラ場である。
「1つ目のアシタカがタタラ場でデイダラボッチを従える」
これを暗に示しているのだ。
カヤ自身がアシタカのフィアンセというのは有名な話だ。
このカヤのセリフに対し、アシタカは「私もだ、いつもカヤを想おう」と翡翠の玉刀を受け取る。
これがなにを意味するか。現代を生きる我々には理解し難いのだが、この世界の部族の文化において、夜中に男女が密会をするとは「そういうこと」なのだ。これは「貞操」を誓っているのである。
「あんた以外の男と付き合いません」と言っているのだ。
まして、彼女は旅に連れて行ってくれとも言わなければ、今生の別れであるにも関わらずあっさりしている。
思い出して頂きたい。どういう監督が手がけた作品であるか。描く部分は描くが表現をしたくない。そう、この時既にカヤの中には命が育くまれている。それがタイトルコールの土器へと繋がるのだ。
ざっと衝撃を挙げ連ねるだけでこんなにも。
映画や本は観るコンディションや年齢によって感想が異なるのだなと感じた次第だった。
色恋沙汰な内容が多かった気がするが、他の気づいた点だってまだたくさんある。
字数が半端なくなってしまうため割愛させて頂く。
まして物語がアシタカ視点で描かれてる故、子供の時分では気づけなかったセリフや意味、他キャラクターの思惑まで伝わるような感覚がした。
みなさんもこの機に是非おすすめしたい。
ましてこんな便利な時代だ。
家族や恋人、友人が揃って、作品を共有、共感し合う場はどんどん少なくなっている様に思う。
意味なんかなくてもいい。
そこで共鳴した思い出や想いはきっと人生を豊かにするものと僕は漫画や音楽でさえ信じている。
「一生に一度は映画館でジブリを」